橋本久仁彦・仁美さんのメール

2009年、清里のフォーラムでの橋本久仁彦さん。 Photo: Datchi

穂高養生園での非構成的エンカウンターグループに向けて、毎年そのファシリテーションをお願いしている橋本さんが、こんな案内メールを配信しました(8/24付け)。
後半、仁美(娘)さんの短文もあり。僕の名前も顔を出しますが、その前のところに書かれているこの七泊八日の場に対する彼女の認識というか捉え方は、読んでいてしごく合点がいきます。「だよね」という感じ。
参考まで転載します。
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皆様へ。
表記の穂高でのグループは、近頃は「円坐」や「相聞円坐」と呼んで僕のライフワークになっている「営み」の一つの完結点です。
このグループについて説明することは、僕にとって少し難しい点があります。
あたかも「橋本が存在して、生きていることの意義は何か?」と問われたような戸惑いがあるのです。
いろんな説明が可能ですが、書いてみるといずれもぴったりではない。
部分的な描写にとどまります。
この穂高での長い円座を一緒に開催している西村佳哲さんは、「野菜スープ」という比喩を使っていますが(エンカウンターのこと 13-8-21)、言い得て妙です。
しかし、ファシリテ−ターとしての僕は、野菜スープの出来上がりを自分が「期待」したとたんに、その動きに「なって」、「見て」、結果、「自分」との距離が生まれますので、参加者に向かって期待を差し向けることが起こりにくい。
なので「社会」や「このアプローチを必要とするであろう人々」にお勧めする強いモチベーションがありません。
確かなのは、円坐は、僕にとっては死ぬその日まで続けても楽しみの尽きない営みである、ということ。自分がやがて死ぬ。限りある生きている期間。その事実への一つの応答。
それが、穂高養生園という特別な「場所」で、一期一会の「円坐」に皆さんと共に坐る 「橋本久仁彦」という「出来事」なのだと思います。
この味わいにおいて、西村さんがブログに書かれた以下の言葉が僕に響きます。
「毎年あきもせず開催しているという事実があるだけで、橋本さんと僕のどちらかがこの世を去るまで年に一度、縁あって集まった人たちと野菜スープのような時間を味わってみたい。」
今年も必ず開催したいと思っています。(あ、これは期待してるんだなー)
 
ところで、僕の娘が最近、「坐る人」として進境著しいです。穂高円坐に達意の一文を寄せてくれましたので、ご高覧くださいませ。
穂高円坐作業員 はしもとくにひこ
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 長い期間実施される非構成的エンカウンターグループに参加して私が最も面白いと感じるのは、人から言葉を受け取る際にときおり微細に感じる、もやっとした感じに、しっかりとさわれる事です。
 日常では流れが速すぎて、感じたものを見つめる暇があまり無い為、その感じから私はただ影響を受けるだけで、そのまま日々を過ごしていきます。
 そのとき自分の感情は言葉に込められた相手の思惑に従い、身体は相手が作り出した構造のなかに引っ張られて行きます。
 その作用は人間関係の中で起こる、特に不思議な所だと思います。
 そこを徹底的に、真っ向から見据えていく。
 私にとっては、それが一番このグループで楽しみにする経験のひとつです。
 知らぬ間に自分の側から現れることもある、このもやっとした感覚に近づくのは、毎回とてもスリリングです。
 また、自分が穂高へ向かうときには、主催者の西村さんから醸し出される鋭さ、実直さ、繊細さに惹かれている所があります。
 穂高への魅力があるのはもちろんですが、西村さんからはじまり、集まった人達から生じるその場限りの場所へ、行ってみたいのだと思います。
 橋本仁美
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>穂高養生園での
 非構成的エンカウンターグループ・七泊八日

 

by 2013年8月24日