
全三冊のあとがきを語って
昨年12月に出版された『わたしのはたらき』で、2009年から奈良で開催してきたフォーラム「自分の仕事を考える3日間」の本・三冊が完結。
先日大阪のスタンダードブックストアで、その全三冊のあとがきのようなトークイベントをやらせてもらいました。
最初の二冊にフランスの詩人アンドレ・レニエの、「どうか僕を幸福にしようとしないで下さい。それは僕に任せてください」、という言葉の引用があります。
人は自分がされたことを他人にもするとして、普段自分が自分に対して行っていることを他人にも行いやすい生き物であると仮定すると、他の誰かによって自分が「動かされる」ことを許してきた人は、他人を「動かす」ことについてもあまり抵抗を感じない可能性があります。
そこに欠けているのは「その人自身の判断や意思を尊重する姿勢」で、ひいては本人が本人を尊重する姿勢ということにもなると思う。
自分を尊重するということは、イケてるところも、そうでないところも含んで、世間的には「不幸」と呼ばれうる側面があってもそれをも含んで、自分の全事実を受け容れるところから始まるものだとすると(僕はそう思うのですが)、先の「どうか僕を幸福にしようとしないで下さい」という言葉も「自分を幸福にするのは自分の仕事です」という宣言ではなく、「幸福になるかどうかということも含めて僕に任せてください」という、よりクッキリした姿勢の明示として響いてくる感じがあります。
幸せでないと不幸なのか? というと、どうもそうは思えない。
夢を叶えようとか、希望を持とうとか、そういったバイアスのかかっていないニュートラルな重力の中で、自分の仕事や働き方について考え合える時間を形にしてみる試みが、奈良の図書館でのフォーラムでした。
このニュートラルさを維持するには、「やりたいことが実現出来るから、生きている意味や価値がある」というような価値観を、一度手放しておく必要がある。
人生に対する評価的な姿勢を一旦リセットしたいので。
でもそこに注力し過ぎると、今度はそういうメッセージとして響いてしまい兼ねない。「自己実現しなくていい」「ビジョンもなくていい」「幸せにならなくていいんじゃない?」という具合に。
別にそう強く思っているわけではないのだけど、先日のトークイベントでは、そういう投げかけが大きく響いてしまったかもしれません。
幸せになってもいいし、場合によってはならなくてもいいんじゃないか。結果として生じることを目的にしてしまうと、いまがもったいない。
いま自分に出来ることを、めいめいが、めいめいの状況の中で、素直に形にしていけるといいなと思っています。
先日書店に来てくださったみなさん、賑やかなひとときを、ありがとうございました。:-)
by 2012/3/31