なんのための仕事?

昨年11月末頃から執筆を進めていた本『なんのための仕事?』が、4月末から書店に並びました。
最初に書いた『自分の仕事をつくる』(2003)、二冊目の『自分をいかして生きる』(2009)につづく三部作の、一応最終巻になると思います。

大阪でデザインスクールを軸にしたOPUSというモノづくりの共同体を形づくっている原比呂志さん。京都のカフェ・エフィッシュを経営し、アップル・コンピューターに働きに行った西堀晋さん。ナムコやソニーを経て独立し、練馬区の保育園にたずさわっている福田桂さん。新潟で、産業ではなく暮らしや営みとしてのデザインワークを重ねてきたエフスタイルの二人(星野若菜・五十嵐恵美さん)。graf創設メンバーの一人、豊嶋秀樹さん等に、インタビューイとして登場してもらっています。

河出書房新社の編集者・Tさんから「一般の人たちに向けて!」と釘を刺され、そこは慎重に足を運びながらも、デザインの仕事にたずさわっている人たち、あるいは学ぼうとしている人たち、その教育にたずさわっている人たちに「どう思う?」と語りかけてみたかった気持ちが、執筆の中心的動機としてありました。
 

武蔵美の学生だった頃、先生が「デザインはひとの幸せを形にする仕事です」と言っていて。僕は「なんかポワッとした言葉だな…」と、いまひとつピンとこなかったのを憶えています。
その後「夢を形にする仕事である」という言い方にも出会ったけど、なら「可能性を形にする仕事」とでも言う方がしっくりくると思った。

で、『なんのための仕事?』を書きながら思っていたのはそれを、つまりデザインを「出会いを形にする仕事」としてやれたら嬉しくない? ということです。デザインに限らない話だけど。
 

結果的に収録出来なかったけど、年明けの草稿までこの本にご登場いただいていた人物に、デザイン・ディレクターの萩原修さんがいます。

写真:のぐちようこさんのブログより

本人の許諾を得て、以下に草稿のそのくだりを掲載します(載せられなかった理由はページ数の兼ね合い)。
第三章に登場する豊嶋さんのくだりにつづけて、こんなふうに書いていました。
            *

 小さな頃の宿題は先生に出されたけれど、大人になってからの宿題はどれも以前の自分が出したものだ。
 僕の頭の中の机には未提出のそれが山積み状態で、出来る順にせっせと出しつづけているものの、新しい宿題が次々に加わるのでまったく減ってゆかない。宿題に追われる生き方はくたびれるし、豊嶋さんの話に戻れば、そこに居合わせている人との関係を二の次にしてしまいかねない。宿題をこなす方につい集中してしまうので。

 豊嶋さんの話を聞いてから心の中で発酵過程に入っていたパン種がさらに膨らんだのは、その2年後に聞いた萩原修さんの話による。

 萩原さんは、新宿にあるリビングデザインセンターOZONEの立ち上げにディレクターとしてかかわり、300本以上の生活デザインの展覧会を担当。2004年に独立してからは、フリーランスのデザイン・プロデューサーとして、書籍、日用品、店舗、展覧会、コンペなどの企画やディレクションを手がけている。建築家の故増沢洵氏が建てた最小限住居「9坪ハウス」をリバイバルさせた建て主でもある。
 ご実家は国立の住宅地にある文具店で、閉じていたそのお店を改装して2005年から「つくし文具店」というお店も始めた。全国各地のデザインプロジェクトにかかわっていて、常に10本以上のプロジェクトが同時進行しているという。その彼に、大学の授業に来て、学生たちとお話を聞かせてもらったことがあった。

 萩原さんは武蔵美の視覚伝達デザイン学科(グラフィック)の出身だが、卒業後はデザイナーとしての仕事を行っていない。「自分より上手い人がたくさんいると大学で知って」と笑いながら、まわりのデザイナーたちの活動をサポートするような動き方を重ねている。
 さて。教室(多摩美上野毛校)に来てくれた彼の話は最初のうち雲を掴むような部分があった。「萩原さんはどんなふうに働いているんですか?」という問いを投げると、たとえばこんな言葉が返ってくる。

 「僕は ・企画書を書かない
     ・プレゼンテーションしない
     ・作業しない
  そんなふうにやっています」

 学生も僕も「?」という感じで、そのまましばらく話を聞いていたものの、各プロジェクトの中で萩原さんがどう機能しているのかがやはりいま一つ掴めない。
 そこであるプロジェクトに絞ってそれがどう始まったのかというところから問い直してみた。選んだのは、彼が福永紙工株式会社というメーカーと一緒に始めた「かみの工作所」というプロジェクトで、2010年には「空気の器」というヒット商品も生み出している。

 「どう始まったのか? うーん。最初は僕が文具店の店番をしていたら、犬の散歩をしていた男の人が店に入ってきたんですよ。で、商品の説明とかしていたら、面白がってくれて。
 その人が、立川で紙製品の加工会社をやっているので一度見に来てくださいと言うので、はいわかりましたと。何日か後に出かけて会社を見せてもらって話を交わしていたら、こんなことで困っているという話になって。じゃあ…という感じで提案をして。そんな感じですよね。
 そうだな。僕はどのプロジェクトでも一番最初は、誰かと二人で会うところから始まっています。」
(中略)
 豊嶋さんも萩原さんも計画を形にしているのではなく、出会いを形にしているんだな。だから仕事に生気があるんだ。僕が眩しさを感じてきた、前の章で話を聞かせてくれた人たちも、まさにそんなふうに働いて、生きているんだなと思う。

            *

10年ほど前、この「働き方研究」シリーズの装丁を手がけるASYLの佐藤直樹さんに「佐藤さんにとって〝デザイン〟ってなに?」と訊いたところ、即答で「ひと付き合い」と返ってきた。

先日一緒に話したトークイベントで「こういう仕事は請ける・請けないといった線引きやポリシーはある?」と尋ねると、「どれもケースバイケースで、個別具体的に判断している。こうするべきとか、そういう考えはあらかじめはないですよ」というこたえと、「〝デザイン〟という言葉は、都合良く意味を拡張して使われすぎているよね。〝いいデザイン〟なんて言わずに〝いい机〟でいいのに」と、彼の違和感を語ってくれた。

僕も感覚的には近いと思う。人や、人の仕事には興味があるけど、デザインなんてどうでもいい。
どうでもいいのだけど、明らかにこの仕事や世界への思い入れはあり。デザインという仕事を通じて、人の仕事のあり方を考える、ということを『なんのための仕事?』で試みました。
 

by 2012/5/16