
Dec 15, 2020
友人夫妻が、代々木に小さなパン屋さんを開いた。オープンして3週目くらい。東京都心部の住宅街で、薪をくべてパンを焼いている。
薪。山にはいくらでもあるが、都会にはない薪。「どうするんだ?」と思っていたら、街路樹の剪定木の再資源化に取り組んでいる人に出会って、そこから調達しているそうだ。地産地消になっている。
焼いているパンは「カンパーニュ」と「食パン」の2種類。仕事に追い立てられない工夫というか、長くつづけたい彼ら二人による、自分たち自身への配慮や工夫が随所に見えて、イートインのスープを待ちながら、しみじみ温かい気持ちになった。自分のことのように嬉しい。
この「自分のことのように嬉しい」っていう常套句はなんだろう? 自分のことだから嬉しい、他人のことはそれほどでもない、という話ではないし、ただ「嬉しい」だけじゃない。
いろんなものが含まれているんだ。なかなか決まらなかった場所。借りたもののピンと来なくなって、始めた改装を途中でやめてしまった物件のこと。店を始めると言って辞めたのに、同じ店に出戻って働いていた時間。彼の納得を待たざるを得なかったパートナーさんの、やや複雑な表情。などなど。
数年間、少し近い位置からその成り行きを見ていたので、あんなこともこんなこともあったなあ…という、他人なのに、振り返ってしまういろんな経験や記憶が「自分のことのように」という言葉を加えているんだろう。そんなふうに喜んでいる人が、いま彼らの周りには無数にいると思う。
パン屋塩見
https://www.instagram.com/shiomi_pain/?hl=ja

