Jan 9, 2021

昨年秋、豊嶋秀樹さんの神山来訪をきっかけに、その辺りの山を歩くのが楽しみになった。友人と。妻と。あるいは一人でどこかへ行くとき、わざわざ廻り道をして山の中を歩いている。

大江健三郎の『日常生活の冒険』という本がある。タイトルが大好きで、内容はあまり憶えていないのだけど、思い出すといつも「旅はいつ始まる?」という言葉が浮かぶ。どこからが旅なのか。

例えば子どもの頃の家族旅行を思い出すと、新宿駅で特急列車に乗り、席に座って、ホームのベルが鳴り。電車が動き出してから、いそいそと駅弁を開いていたものだけど、あの頃は電車が動き始めてからが「旅」だった。車窓には、初めての景色が展開して。

でももっと昔は脚で移動していたわけだから、伊勢に行くときも、遠くの親戚を訪ねるときも、土間で草鞋の紐を結び、立ち上がったところから次第に始まっていたはずだ。

家を出て、しばらく歩いて振り返ると、まだ自分の家がよく見える。でもそのうち、ここを越えると、あるいは曲がると、振り返っても家が見えなくなる折り目のような場所に至る。例えば小さな峠に着いて、いま一度そこからふり返ると、みんなの暮らす家々や、山や川や、自分のよく知っている世界が広がっていて、その中に小さく自分の家も確認出来る。

そして再び歩き始めてからは、もうふり返ることもない。旅はそんな風に微分的に始まっていたと思う。

最近の山登りも同じで、ここ(いま私が暮らしている神山町)は山あいの小さなまちだから、家の玄関先からそのまま山歩きが始まる。「その辺の裏山」の良さをこの数ヶ月味わっていて、イン神山に書いてきた秋のレポートが一段落した。

Day 0 神山の山を歩く
https://www.in-kamiyama.jp/diary/53840/

Day 1 ルーさんと歩く山:上分/川又南岸
https://www.in-kamiyama.jp/diary/54114/

Day 2 ルーさんと歩く山:上分/川又南岸
https://www.in-kamiyama.jp/diary/54393/

Day 3 ルーさんと歩く山:神領/修験行場
https://www.in-kamiyama.jp/diary/54716/

発端にあたるDay 0の豊嶋さんは、以前はデザインやアートの世界で活躍してきて、この10年くらいグッとアウトドアに重心を移した人だ。趣味や余暇としてでなく、関心と日常の大半がドッとそっちに移った。でもプロのクライマーではないし、フィールドガイドで食べているわけでも、山小屋の経営者になったわけでもない。

自分の本では『なんのための仕事?』『増補新版|いま、地方で生きるということ』(ちくま文庫)に豊嶋さんのインタビューを収録している。「アウトドアに重心が移った」あとの彼の話は、その後者でたっぷりうかがっている。

10年くらい前だったかな。北アルプスを縦走して少し経った頃、彼が「最近はその辺の裏山を歩く方が面白い」と聞かせてくれた。当時の自分は「藪が多くて寂しいじゃん」「北アルプスの尾根路の方が気持ちいい」「なに言ってんだ(笑)」という気分で、正直よくわからなかった。

「みんなが憧れるトレッキングルートは眺めも素晴らしい。けど既に路が決まっていて、他のところを自由に歩けないのがつまらない」と話していた。

いま私たち(神山の友人たち)は、バックカントリーの雪原を自由に滑り降りているわけじゃない。人々が入らなくなって数十年経ったその辺の山の中に、古い路や、昔の人々の営みのあとを見出しながら歩いている。

良さの質は違うけれど、どちらも「いまいる場所が面白い」という点で一致するかな。

いま書いている原稿がいちばん面白いし、いま口の中で噛んでいるものが美味しい、いまやっていることが楽しい。そういうのがいいと思う。

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