May 20, 2022

一昨日徳島からフェリーで東京に戻り、荷物の一部を郊外の友人に預けに行って、そのレンタカーも返却。ようやく一連の引越が終わった。

私の分は一ヶ月前に済んでいたので、今回は妻のものと家のものと、猫と植物。量もさることながら要素が多く綱渡り的だった。ストレスのピークは、トラックに荷物を積んだ5月16日。

何度か体験して思うけど、同じ引越業者さんでも荷物を積みに来る人々と、下ろしに来る人々でだいぶ印象が違う。前者は戦闘的で、後者には少しゆとりが感じられる。楽しげな瞬間すらある。前者の場合、当日行ってみると準備がまだ終わってないじゃないですか!ってことがままあるはずで(うちも)、そりゃそうですよね。申し訳ない。

自分は大学生の頃、配送のアルバイトをしていた。小さな荷物は玄関先で、冷蔵庫のような大物だと家の中に入って、それぞれの暮らしを一瞬垣間見る。ある空気や時間の流れに足を踏み入れる。家の中はみんな違う。動物の巣に入るような感じで面白かったな。缶ジュースを渡されたり、よくしてくれる家も多かった。

業者さんのトラックは14時頃に出発。残りはマイカーに積んで、車ごと東京に運ぶ。あとはすっからかんになった家屋の掃除。その手伝いに駆けつけてくれた人と、ただ駆けつけてくれた人に見送られて車で家を離れる。子ども2人が途中まで走って追いかけてくれた。

お世話になった方一人ひとりに挨拶に行きたかったが、時間が足りず、借りていた本の返却を兼ねて、ひろみさんと奈央さんのところにしか寄れなかった。山びこの唐揚げは買えた。もう一度家の前を通りがかると、ちょうど近所の方々が道路沿いに出ていて、少し言葉を交わすことが出来た。

その一人は、引っ越してきたばかりの頃「仲良くなっても、出ていっちゃうんだろ」と私に漏らした人だ。可愛くて優しい人。
20年は取り組んでみよう、あるいはもうずっとここで暮らしてみようかと思っていたけど、こういうことに、まちを離れることになった。言葉も気持ちも尽くせないが、向こうにとってはあれくらいのやり取りがいいのかもしれない。

そして自分たちがこの数年間借りていた家が奥に見える、小道の曲がり角にさしかかる。いつもここでハンドルを切って帰宅していたわけだけど、その先にあるのが自分たちの家という気がまったくしないのが不思議だった。ほんの半日前ともう心持ちが違う。「他人の家」という気持ちで通り過ぎる。段階を踏んで、心が川を渡ったんだな。

初めて来たときのように鮎喰川沿いの道で町を離れ、先に東京に戻る妻と猫を空港に送る。我が家の猫のフライトは三度目。

そこから3日経って、いま東京の家は引越の段ボールでいっぱい。荷解には一ヶ月くらいかかるだろう。東京に戻って2日目の昨晩、妻と映画「C’MON C’MON」を見に行った。私は二度目。主人公のジョニーが、甥っ子のジェシーに絵本『星の子供』(Claire A. Nivola 『Star Child』)を読んで聞かせるシーンがある。以下一部うろ覚え。

 

地球に行くには、人間の子として生まれること
まず新しい身体の使い方を覚える

腕や足の動かし方
歩き方 走り方
手の使い方も覚える

声を出し 言葉を作ることも
多くを学ぶだろう

植物や動物
想像もつかない たくさんの生きものに出会うだろう

ここではいつも同じだが そこではすべてが動いている
すべてが常に変化している
きみは地球の時間の川に突き落とされるだろう

多くを感じるだろう
悲しみ
歓び
失望
そして 驚き

大人になり 旅をして
仕事をする
長年 理解しようとする
幸せで 悲しく 豊かで
変わりつづける人生の意味を

そして 星に還る日が来たら
不思議な美しい世界との別れが 辛くなるだろう

 

一ヶ月前に初めて見たときは、この映画全体について「よくわからないな」という印象があった。まわりが絶賛しているほど来るものがないというか。2回目を見て、とても要素の多い映画だと思った。子どもの時間。家族のあり方。時(とき)と関係。未来と子どもたち。アメリカ。音のある世界。etc。

自分にとっては「この素晴らしい時間は終わる」という映画になった。3回見るとまた変わるかな。

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