できることをやるだけ

昨年発売されたデザインの現場・12月号に、紫牟田伸子さんとナガオカケンメイさんの「デザイン・プロデューサーという仕事」という対談記事がある。
そのオマケの片ページ記事で、紫牟田さん作案のアンケートに、数名のデザイン・プロデューサーが応答している。わたしも。

デザイン・プロデューサーなのか、西村佳哲は?
そう見られている節はある。
以前発売された AERA DESIGN「ニッポンのデザイナー100人」(朝日新聞社)も、プロデューサーのカテゴリーで紹介している。が、仕事の実態はむしろクリエイティブ・ディレクターやデザイン・プランナーに近い。

まあ、THE デザイナーでないことは明らかなので、AERA的には「そのほか」ぐらいの意味合いだろう。

先のアンケートへの応答を、転載してみる。

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──あなたにとって、プロデューサーとはどのような役割を担う仕事を意味しますか?

そのプロジェクトで力を発揮する人々の、「器(うつわ)」になることです。
 

──プロデューサーに一番必要な資質、能力とは何でしょうか? 
その理由も併せてお答えください。

プロデューサーという仕事は、極めて属人的な能力や魅力を足がかりにした仕事だと思います。つまり、プロデューサーになる奴はほっといてもなるし、人々の方もプロデューサー的な存在を必要とするので、資質がある人のことは放っておかない。

学校で学んでなる、ような仕事ではないと思います。たとえが不適切かもしれませんが、どれほど学んだり研鑽を積んだところで、番長や村長になれるわけではないのと同じだと思います。

そんなプロデューサーに一番必要とされる資質・能力とは、何よりも「その人自身であること」です。
プロデューサーという存在の機能には、お金や人材など、プロジェクトに必要な資源を揃えることもありますが、なにより大きいのは、「この人とやっていれば大丈夫。うまくいく」という感覚が、メンバー間で共有されることです。

これは小手先の技能の話ではなく、その人の存在感に関わる話なので、なにをどうするかといった「DOING」のレベルではなく、どのように在るかという「BEING」のレベルでの質が問われる次第です。
 

──あなたがプロデューサーとして立つ場合、大事にしていることはなんですか?

プロジェクトに関わる一人ひとりの気持ちが鬱血しないよう、悩みも思い付きも、自由に話せて、互いにそれを聴き合える関係をできるかぎり保つことです。
 

──これまでにご自身がプロデュースしたお仕事のなかで、最も手応えのあったものを1つお答えください。また、その理由も教えてください。

いちばん最近のプロジェクトから「イン神山」というウェブサイトです。四国徳島の山間部にある神山町という町で、地域づくりに注力しているグリーンバレーというNPOが、国内外とコミュニケートするためのウェブサイトおよびコミュニケーション・システムをつくりました。総務省・u-Japan政策の一環で進められている、全国・29件の地域ICT利活用モデル構築事業のひとつです。

この仕事に強く手応えを感じた理由は、きわめて人間的なつながりの中で、仕事を行えた感覚が残っているからです。
東京など都市部の人材が地方に関わる際、妙に「先生」扱いされたり、他力本願的な投影を受けることが多いと思うのですが、この町の人々には最初から最後までまったくそれがなかった。
わからないことは照れもせずまっすぐ聞いてくるし、クライアントチックなプレッシャーをかけてくることもまったくない。

請ける側も依頼する側も、「やらせていただく」「やっていただく」という、謙虚な関係性の中で仕事が進んだ。これは本来あたり前のことかもしれませんが、ここまで健やかで、かつ温かな関わりをつうじてプロジェクトを進めることが出来たのは、自分にも初めての経験でした。

仕事というより、彼らの営みの中にお邪魔して、ある働きを成してきたという感覚です。
 

──デザイナー自身にプロデューサーの感覚は必要だと思いますか? デザイナーに必要な「プロデュース感覚」とはなんでしょうか?

自分が妻と手がけている「リビングワールド」というデザイン会社は、請負の仕事とオリジナルの商品づくり・販売の両方を手がけており、一般的なデザイン事務所と、クラフト作家の中間あたりの立ち位置で働いています。

メーカーポジション的な仕事を通じてあらためて考えてしまうのは、日本で行われているデザイン教育の大半が、自立した個人としてのデザイナーではなく、企業で機能する人材の育成を前提にしていることの狭さです。

日本はまだまだ企業社会なので、デザイン教育を受けて大学を卒業したら企業に就職する…のがメインストリームです。が、海外のデザイン教育機関では、卒業後に自分の事務所をひらくための授業を組んでいる例もある。

ご質問に戻ると、デザイナーに必要な「プロデュース感覚」とは、仕事の局部的な品質ではなく、その仕事が求められる背景から、つくられる現場、それがとどいてゆく先、そしてその仕事がこの世から無くなる(プロダクトでいえばゴミになって捨てられるとか、事業自体が消えてゆくとか)ところまでを含む、「社会におけるその仕事の全体像」を見通す視力にあると思います。

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独立すると、肩書きに凝る人が多い。
けど、肩書きを手がかりに関わってくる人より、自分のアビリティをちゃんと見てくれる人と仕事をしてゆきたいんじゃないか?>みんな、と思う。

上のアンケート答案ではエラソーなことをぶっているが、いずれにしても自分は名乗るものでなく「なってゆく」ものなので、今年も来年も、今日も明日も、今も1分後も、ただできることをやるだけだな、と思う。
 

by 2009/1/1