プライシング(つづき)
値付け…というか、モノの値段について思うことは、いろいろある。
たとえば質のいい「裁ちバサミ」は今でも値段が張りますが、明治の頃は学校の先生の初任給・数ヶ月分に相当したとかそういう話を聞くと、むしろモノの値段は下がりすぎたんじゃないかという気持ちにもなります。
…いやこの話を書き始めると、間違いなく長くなる。「太陽系のそと」ミニの値付けの話に戻します。
4月のはじめにアナウンスメールで、「ちょうどいい値段は?」と投げかけてみたところ、多数の応答をいただきました。以下、少しご紹介を。
「花束と同じぐらい、3,000円から5,000円が希望です」。この方が最安値。
いやそういえば「無料で」と書いてきた友人もいた。「これが与える(喚起する)であろう物語は、本来〈無料〉で、人と人、人と宇宙との間に交感された方が…」という文脈とともに、ですけど。
できる・できないは別に、どちらも「なるほどー」と思う。
最高値は「5万円だったら嬉しいな縲怐vです。
あるショップの店長さんですが、売り場のリアルな厳しさの只中からこの応答はありがたい。つくり手の苦労を慮ってくださったのかな(先の2名に「配慮がない!(^_^)」と言いたいわけではありません)。
高めの値付けを伝えてくれた方々には、「12cm角バージョンは8万円だし…」という前提がどうしてもあるように思う。
「“銀河ヒッチハイクガイド”に由来して42,000円」と書いてくる人や、「4万円が僕にとってちょうどいい値段です」と書いてくれた人もいました。
そう。問いかけは「ちょうどいいお値段は?」でした。要は、なにに「いい」のか?ですよね。
買うのにちょうどいいのか、同じ買うにしても友人のプレゼントにちょうどいいのか、自分がそれを所有する上でちょうどいい重みがあるということなのか。
このミニの製作を最初に決めた時は、数千円で出来ないか?と考えていたんです。
博物館や科学館のミュージアムショップでこれを見つけた小学生や中学生ぐらいの子どもが、なんとか背伸びして買えるモノを、と思っていた。
わたしたちは博物館などのミュージアムショップの品揃えに、ちょっと一言あるんですね。
端的にいうと、もっと夢がほしい。
モノとしては「太陽系のそと」はショーケース的なスペースに置かれるだろうけど、値段的には、小さな彼らの手が届きうるモノをつくってみたかった。
でも、安ければいいわけでもないと思うんです。簡単に手に入るものは捨てやすい。
2001年の東京デザイナーズブロックの頃、風灯の最初のプロトタイプ・バージョンを、青山にあったIDEE SHOPの木々や植え込みに吊して展示しました。
手の届くところにもいくつか下がっていて、案の定、夜中に盗んでいった人がいた。その時わたしたちが思ったのは、盗んで手に入れるような人は簡単に捨てる可能性も高いだろうな…ということだった。
手に入れることができる。けど、少しコミットメントは要るような、そんな値段を探りたい。
でも最初にイメージしたのが所得の低い、というかまだない子どもたちだったので、そこでわたしたち自身のスタンスに惑いが生じているというのはある。
みなさんからいただいた、その他の応答も。
「実物を見ないでネット購入できるのは1万円以内」とか、「ううむ……3万円!」とか(「ううむ」のこころが知りたい)、「プレゼントなら9,000縲怩P万円」とか、「気兼ねなくプレゼントに使えると考えて2万円はどうでしょう」とか(同じ贈り物でも多少幅がある)、「5,000円かなー(120mm版のお値段は全く見ずに!返答です)」とか、「24,000円なら奥さんに秘密でコッソリ買える」とか(笑)、「3.8万円ですね。安い値段で買うのはこのモノにたいして申し訳ない」とか。
そう、あるお子さんのお母さんからは、「全財産(これまでのお年玉と食卓片付け+テーブルふき10円を集めたもの)が26,000円の息子は『2万円』と言っていました。財産の8割をかけたいと思ったみたいです」というお便りも。(涙)
本当にありがとうございます。
たくさん、教えていただきました。
昨日は下北沢のスタディ・ルームというお店に飛び込みでお邪魔して、お店の方の意見もうかがってみた。(お世話になりました)
そして今朝、工場の社長さんと会い、製造原価の最終打合せを交わしました。
その数字はお伝えできませんが、原価が決まったら販売価格が自動的に決まる、というわけでもないんです。
海外でも販売するつもりなのかどうか。もしそうだとしたら、ディストリビューション(流通)をどう考えるか?
広い流通網に乗せるのか、ピンポイントでいくのか、ということです。ここが値決めの分かれ道になる。
by 2009/4/24