男木島をふりかえる

ここ半年ほど、月に一度のペースで瀬戸内の小豆島を訪ねています。ある会社の人々とのかかわりで(詳しくはまた後日)。
先日、その帰りに、これまではフェリーで横を素通りしていた「男木島」という島へ渡ってみました。

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船はまず女木島に寄ったのち、男木島へ向かいます。女木で乗客数が減ると、ワクワク感が増す。

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島の人たちは、南西部のこの集落で暮らしています。
急斜面に展開する石垣の街並みがいい感じなんだけど、お目当ては北の灯台方面なので、散策は帰りにとっておいて、さらっと抜けて。

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人家がなくなるあたりで振りかえると、向こうに女木島が。山桜がちょうど満開で、森が花畑のようで。

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周遊道を東側から回り込んで歩いてゆくと、最初は農道。じきに舗装は終わって、土の道になり、そのうち車も通れない細い畦道になる。
フットパス萌え・石垣萌えの自分には、かなり嬉しい展開。しかも天気いい!
でもこの石垣は棚田のそれだから、樹木に埋もれて見えなくなった畑が、この径の左右に展開しているんだろうな…と思いながら先へ。鳥がたくさん鳴いていました。

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北端の灯台上に出ると、斜面一帯が水仙の草原。ここ、すごく気持ちがいい。
目の前の海峡は、この辺りでいちばん船の行き交いが多いようで、いろんな種類の働く船が、入れ替わり立ち替わりやってきます。時々、ビルのように大きなタンカーも通ってびっくりする。
沖合いの豊島には、今後僕らを含む若い世代の税金・数百億円が投入されてゆく、有名な産業廃棄物処理の現場が小さく見える。左に目を移すと、いまやアートの島となった直島の西端にある三菱マテリアルの煙突と周囲の禿げ山も見えて、内容的になかなかハードな風景ではあります。
が、それにしてもくつろげる場所だったな。
今年の夏、瀬戸内国際芸術祭で男木島を訪ねる人がいたら、ぜひ島の北端の、海峡を見下ろすこの斜面にも行ってみてください。ベンチあります。:-)

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下を覗くと、日本で一番古い石造の灯台が見えた。
さて。東京に戻って、今度は上空から島をふりかえってみました。

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これは2007年の撮影。左下の集落から時計逆回りで東側の小径を歩いて、北端に行ったわけです。

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これ(上)は1980年の写真。

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そしてこれ(上)は1974年。36年前。
急な斜面に手を入れて、隅々まで段々畑にして、高度利用をはかっている姿が見えます。
ほんの30,40年で、風景はかくもガラッと変わってしまうものなんだな。
下はさらに昔。62年前(1948年)。現在の島の人口は約200人だそうです。ここまで島を使い込むには、5倍ぐらいの人口がいたんじゃないか(憶測)。そこには、どんな暮らしがあったんだろう。

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これらの写真は、友人が教えてくれた「航空写真画像情報所在検索・案内システム」より。(現在、Mac版のSafariは機能しない様子)
航空写真は国土地理院が撮ったものの他に、林野庁や海上保安庁、その他米軍も? いろんな組織がそれぞれの調査時期に日本各地の空撮をしていて、所管ごとバラバラだったこれらの一元化を試みているのがこのシステムだとか。つくった人、エライ!
時間を溯ってみると、いま見えている風景の見え方が変わるのが面白い。
あと、人が生きてゆくには環境に関わらざるを得ないわけで、1974年頃の写真とか、いろいろ感じるところがあるのですが、まだうまく言葉に出来ません。
 

by 2010/4/20