
木村秋則さんのりんご農園で
8月上旬、豊嶋秀樹さんや三原寛子さんが、弘前の仲間たちと手がけている岩木遠足に出かけた。
昨年からある二つのコース、佐藤初女さんの森のイスキアへおむすび実習にゆくコースと、無農薬栽培を実現した木村秋則さんのりんご畑を訪ねるコースのうち、僕は後者を担当。
木村さんにお会いするのは僕も初めてなので、基本的には参加者のみなさんと同じ。ただ要所でお話ししたり、なんとなく進行のような仕事をする。
午前中は弘前こぎん研究所で「こぎん刺し」を体験し、笹森通彰さんのサッシーノ・特製カレーをいただき、どちらも素晴らしかった!のだけど、ここは省略。
約40名の一行は、バスで岩木山の方へ向かいました。
弘前市側の裾野は、いたるところりんご畑です。その中に、木村さんのりんご畑がある。
農家が栽培する果実樹の大半は、美味しい実を結ぶ樹を継いで継いで継いで…、結果的に美味しいのがたくさん実るけど遺伝子的には全ての樹が「同じ人」という状態になっている。野菜もそうか。
なので、ひとたび病気や虫が付くと全員が一気にやられてしまうため(極端な低多様性)、農薬を使わざるを得ない。
中でもりんごの栽培に必要な農薬の量は半端ないようで、「美味しんぼ」などを読むと、正直僕も手が進みにくい。
木村さんの無農薬栽培の経緯は『奇跡のりんご』などに詳しいのでそちらにゆずるが、奥さんの身体が農薬を受け付けなかったのがきっかけだと聞く。
僕は彼の本で、無農薬に挑んだものの何年も成果が出ず、経済的にもどん底になり、自殺まで試みた彼のりんご栽培が好転し始めたきっかけに、「畑の土を柔らかくした」ことがあったのを読んでいた。
なので、畑の中に40名もの人間が入っていいのかな…と気になってはいたのだけど、岩木遠足のスタッフや娘さんと相談し、場所を制限して迎え入れてくださった。
僕らはりんごの樹の木陰で、気持ちいい風に吹かれながら、二時間以上、木村さんのお話しに耳を傾ける贅沢な時間を持った。
木村さんは最初、一枚の葉っぱをちぎって地面に落として。「いまの音、聞こえましたか?」と言う。
一枚の葉っぱが地面に落ちる時の、微かな「ポソッ」という音がするのだけど、「この音を聞くのが怖かったんです」と。まるで想像出来ないけど、数年前、写真に写っているりんごの樹は、どれも葉をすべて落とし、枯れ木のような姿だったらしい。
農薬の散布をやめて、虫に食われ、病気になり、葉が落ちてゆく様子を大変な心持ちで見て過ごした数年間が彼にはあったわけで、「この音を聞きたくなくてよ、セメダインで枝に葉を付けたかった」と。

「葉っぱや枝を見ても、虫いないでしょう? いなくなった。穴が空いているところは、虫が食べたんじゃなくて、悪いところを葉が自分で落としているんです」。
木村さんは「土が林檎をつくっているんだ」と言う。木村さんの畑の土は、よく茂った雑草の根の働きでたくさんの空気を含み、ふかふかしている。
「前は来た人たちに自由に歩いてもらっていたんだけど、やっぱり土が固くなっちまった。花も少し減った。だからあまり歩き回らないで欲しいんです」と申し訳なさそうに言う。
「積もった雪の上を歩いたことありますか? 足跡がついて、凹んで固くなりますよね。土もそうです。表面だけじゃない。ふかふかの土を踏むとね、地面から下30cmまで同じように固まっているんです」。
その声を聞きながら、『この人は掘ったんだ』と思った。『実際に掘って確かめたんだ。しかも多分、何カ所も掘っている』と思い、思わず息が深くなった。
彼が最初に「土が林檎をつくっている」と言って、土の重要性を語り始めた時、僕の頭の中には『野菜づくりは土づくりから』というような、なにかの本や雑誌で読んだ見出しのようなものが浮かんだ。
農業の基本が土であるという話や、過去の文明が土を駄目にして滅びていったという話を思い起こしながら、『そのことは知っている』という感覚が生まれて、でも木村さんがそれをどう語るのかに注目しながら聴きつづけていたら、先の「地面の下30cmまで固まっている」という話に出くわした。
年齢の若い人ほど如実に見かけられる傾向として、なにかについて誰かが語った時、「あー○○ね、知ってる知ってる」と返すリアクションがある。自分も思わずやっていることがあるのだけど、この戻しは本当にダサイ。
この「知っている」は「情報としてなんとなく知ってます」というレベルのもので、木村さんの土の知り具合とはまるで桁が違う。
木村さんは、べてるの家の向谷地生良さんの『技法以前』の巻末インタビューで、「ファーブルさんとダーウィンさんが生物学の太い柱になっていると思うけど、すべてが正しいとは思いません」とも語っていた。
それは、小学生の頃に生物の教科書で「てんとう虫はアブラムシを食べる良い虫だ」と読んだけど、彼が見たところ、アブラムシがてんとう虫を避けていない。
「実際に観察したらよ、一日に5〜6匹しか食べないことがわかったんだ」という話なのだが、これも脚立を立てて、アブラムシとてんとう虫の前に座り、虫めがねを構えて、彼らに意識されないようジッと動かずに、午前に4時間、午後にまた4時間観察してゆく中で「どうやら違うみたいだな」という確認に至ったようだ。
「他にすることがなかったからよ(笑)」と笑うのだけど、こちらは笑えない。
『自分の仕事をつくる』の文庫版の解説で稲本喜則さんが、「この本に取り上げられている人々は、実物で試行錯誤する(わたしたちは得てして頭の中だけで考え、錯誤だけしてしまう)、体験して感じ取った何かを大切にする。そういうあたり前のことを大事にしている。」と書いてくれたけど、まさにそれ。
木村さんの土の知り方は、自分のものごとの知り方とは質が違うと思った。
いや、たぶん木村さんは「知って」ない。なにかを知って、そこで情報処理・終了にはしないで、日々「知りつづける」ようにまわりの世界に触れているんじゃないか。初々しさが何より重要なんだ…!という気持ちを反芻しながら、秋田経由の電車で東京に戻った。

僕は今回、木村さんにお会いできるのが楽しみだったけど、実は怖さの方が勝っていた。なにか決定的なものを示されてしまいそうだな…と思っていて、まあ案の定、その通りになった。
by 2010/8/23