ヴィシー・スプリングのこと

12-08-15 西村佳哲

もし西海岸ベイエリアにいて、ちょうど「温泉に行きたいな」と思っている人がいたら、Vichy Spring Resort に行ってみませんか。
そして、フロントの書棚のアルバムにある古い写真を、何枚か撮ってきてもらえないだろうか?

Vichy Spring Resort はサンフランシスコから2時間ほど北上した、Ukiah(ユカイア)という町のはずれにある温泉宿。
八木保さんとのインタビューを交わしに二十年前に渡米したとき、訪れました。八木さんの若いスタッフたちが口を揃えて「ヴィシー、いいですよ!」と聞かせてくれたこともあって。

写真:Landmark Adventures より

この温泉は炭酸泉。炭酸の温泉は日本にも少ない(四国の仏生山温泉には炭酸泉の湯船がある)。浸かっていると、肌に細かい泡が付いてきます。水温が高いと炭酸は抜けてしまう。炭酸泉の特性として、ここの湯温も32℃ほど。1時間くらい浸かっているとジワーと温まる。冬場は寒いのでいまの時期がちょうどいい。

湯は自分ではります。僕が訪ねたときは少し涼しい日で、炭酸泉の楽しみ方をよくわかっていなかったこともあり、いきなり罰ゲームのようだった。でも今は、いつかまた行ってみたいと思う。(写真:TripAdvisor より)

ロッジがいくつかあり、フロントを含むセンター棟があります。敷地内には小さな川が流れていて、川沿いの小屋に湯船が並んでいた。

川に沿った踏みわけ道が、草原につづいています。

ワイルドフラワーの群生が素晴らしいだろう。(写真:TripAdvisor より)

散策していると、すっかり錆び付いた古めかしい車が。ドアに複数の弾痕が残っていました。

これは先ほど「Vichy Springs」で検索したら出て来た写真。この車だったかな…?(写真:タは旅のタ より)

フロントに戻ると本棚に Vichy Spring の歴史をふり返るアルバムだったか本があって、しばらくそのページをめくりました。
そこで見たもの、読んだことがすごく胸に入ってしまって、その後もしばしばこの温泉宿を思い返している。二十年も。逆に言うと、それがなかったら憶えていないかもしれません。

ここが温泉宿として拓かれたのは1866年頃。宿は1941年に一度閉鎖されました。
1948年に買い取った別オーナーの使い方は酷く、ゴミや廃棄物をうち捨てる場所として30年間ほど使われていたらしい。同時期はユカイアの町の産業(木材)の衰退期でもあった様子。忘れ去られようとしている町の、忘れ去られた場所だったんでしょう。

僕がフロントで見たのはその末期の写真です。現在のオーナーたちが購入する直前の Vichy Spring の写真。本当にひどいありさまだった。あれをもう一度見たいんですよね。誰か撮ってきて!
→ Vichy Spring Resort

現在のオーナーは土地の購入後、何百トンもの廃棄物を撤去。なかば朽ちていた建物に手を入れ直して、こんな状態にした。
1982年から、再び温泉宿としてひらかれています。

写真:TripAdvisor より

いまこテラスで寛いでいると、昔のこの場所のありさまを思い浮かべることはとても出来ないと思う。

多くの人がその場所を見て「無理」とか「手の施しようがない」と感じる中で、この状況を思い浮かべられる人がいた。それがすごいな…と思って。昼間に起きたまま夢を見ることが出来る人間がいたわけだ。

被災地もそうだし、町中に増えてきた空き家にしても。そこに他の多くの人が見ないものを見て、かかわって、生き返らせることが出来る人の数がこれからは要ると思う。
想像力をもってこの世界に人間の居場所をつくり出せる人たち。要るとか言ってないで、自分がやればいいか。やってみます。

by LW 2012/8/15