
火山
13-04-08 西村佳哲
じつは火山が好きだ。たとえば信州の人が、若い頃に見た夜の浅間山の噴火の情景を語って聞かせてくれているとき、うっとりしている自分がいる。
鹿児島の血もあるのだろうか?(父の郷里は鹿児島。桜島の真向かいにあった古い旅館宿)
(上の図版は石川初による富士山周辺の地質図を合成したCG)
昨年読んだ『死都日本』『冨士覚醒』の二冊は、ある火山マニアの医師が書いた自然災害小説。読んでいて「この人は本当に火山が好きなんだなあ…」と思う。
とくに、霧島火山帯が破局的噴火を始めてから数十時間の出来事を克明に描いた前者は、わたしたち日本人が、いったいどんな環境の只中で生きているかということをまざまざと教え、見せつけてくれる。
その見せつけ方に、火山への愛が、畏怖と同時にある。
地震より大規模噴火の方が怖ろしいし、社会に与える影響も甚大だ。2つの読書体験は、霧島火山帯の破局的噴火に比べたら富士山の噴火がじつに可愛らしく見えてしまう…という、これまであまり意識していなかった「噴火規模の質的な違い」を得る新鮮な時間でもあった。
小説自体は人物描写をはじめ木訥としていて、どこかの中学生が書いたト書き原稿のような感もあるのだけど、そこはご愛嬌。お薦めします。
*
ところでなぜ急に火山のことを書き始めたかというと、本棚から取り出した『旅をする木』(星野道夫)のたまたまめくったページが「一万本の煙の谷」というエッセイで、1912年にアラスカの山奥で起こった大規模な面的噴火の現場に彼が足を踏み入れ、テントを張って、暮れてゆく谷を眺めながら、二十年前に逝ったある友人を思い出す様子がそこに描かれていたのだった。
中学生の頃からの友人だったというその彼は、大学時代のある日、信州の山に登り、頂上直下の岩穴で野営をするつもりでいた。が、なぜか予定を変えて山頂に登る。
その夜、山は、江戸時代以来の大噴火を起こした。
星野さんは「最期のときあいつは振り返って目の前で噴き上がる火山をじっと眺めただろうか」と書きながら、いったいその夜に何を見たのか、と、先に去った友人に問うている。
その星野さんももうこの世にいないわけだが、人は一人で山の頂で死ぬときにも、こうして時間をこえて、誰かと一緒に居られるんだなと思ったら少し気持ちが膨らんでしまい、思わず書き始めた。
by LW 2013/4/8