みる

13-04-22 西村佳哲

山本ふみこさんのあるエッセイに、板東玉三郎さんの逸話が顔を覗かせている。2008年に放映されたNHKの特集番組で、玉三郎が「遠くを見ない。明日だけを見る」と語っていた、という話。

「ずいぶん長いことやってきてって、よく言われるけれど、あんまりそんな感覚ないんですよね。どういう感覚かって、そう…毎日やってきた。そうしたら今日になったという感覚ですね」

先日「高田純次さんもそう言ってますよ!」と教えてくれた人がいたが、まあともかく、山本さんは玉三郎のこの「遠くを見ない」という言葉にずいぶん勇気づけられたそうだ。

ここ三週間ほど、毎朝10分くらい裏庭を眺めている。緑が展開してゆく季節を味わっているわけだけど、ぼんやり庭を見ながら「みる、って大事なことだな」とあらためて思う。

「みる」と、そこに「ある」。あっても、みていなかったら、自分の人生にとってないに等しいのでは?

裏庭にせよ、まわりにいる身近な人たちの姿や様子にしても、ちゃんと見ていたいなと思う。見ている気になっていて、実はあまり見ていないことが多い気がして。

玉三郎が「先のことを考えない」ではなく、「遠くを見ない」という身体感覚的な表現をしているところがいいなと思う。明日を考えるというより、見るような感覚で生きているんだろう。

「考える」ことは、先立たないと思う。
「みえる」とか「きこえる」とか「におう」といった感覚的な実感が先にあり、そのあと考えうるのであって、もし先に「考え」ていたら、自分が考えたようにしか見えないし、感じられなくなってしまう可能性が高い。

でも、見たいようにしか見えないし、聞きたいようにしか聞けないとしたら、世界がすべて既知の範疇に入ってしまう。

自分が毎回、楽しみにしながら「インタビューの教室」をやれているのはそこなんだろうなと思った。

頼まれたわけでもないのに会場手配して、案内のページをつくって、いそいそと場を開いているのは、「みる」とか「きく」ことの面白さ、そこにあったのに見ても聞いてもいなかった事々の存在に気づいてゆくときの面白さにまだ萌え萌えで、それを分かち合ってみたい! 気持ちが強いんだな。

こうして書いていると、基本的な欲求はセンソリウムのときとまったく変わらないと思う。
新しくつくらなくても「すでにある」し、むしろそれを新鮮に体験できる機会というか、ベンチや窓のようなものをつくる方がいいんじゃない? ということ。

「遠くをみない」という話に触発されて、自分がインタビューの中で「きく」と同じくらい「みる」ことを大事にしている…という最近の気づきを書いてみたいと思ったのだけど(たぶん)、なんだか「みる」ことのまわりをウロウロして終わってしまった。

by LW 2013/4/22