
神山と東京
リビングワールドの二人(西村佳哲・たりほ)が四国の神山町に移り住んで、約1ヶ月が過ぎました。
わたしたちはこれから神山と東京の2拠点で、暮らしと仕事を営んでゆきます。
ここはウェブサイト「イン神山」の制作で、7年前に初めて訪れた土地です。

約半年のサイトづくりを通じて、この場所に好きなひとが何人かできて。仕事が終わってからもときどき訪ねていました。西村佳哲は高松の経産局メンバーと、『四国らしさってなんだろう?ノート』の制作に至る仕事も手がけながら。
そんな中、「神山に家を建ててみようか!」という話を交わすように。何度か訪れるうちに気になった場所があり、土地を購入、ないし借りてみようと動き始めた。

けど、まとまりそうで、まとまらない。
現地の友人たちの助けを得ながらも、なんだか煮え切らない2~3年を過ごしているうちに、東北で震災が起こります。
そこから始まった事々の渦中、西村佳哲はミシマ社・三島邦弘さんの提案をうけて『いま、地方で生きるということ』という本を書き。その流れで、2011年の秋~冬には東京の暮らしと併行して、屋久島の森の中にある友人宅を借りて暮らしました。

星がきれいできれいで、とにかく雨が多い。「ひと月に35日雨がふる」という表現もあり、一日の中で何度も降ったりやんだりする。
だから湿度が高く、とくに梅雨の頃には本来出るはずのないもの(マイクとか)にまでカビが出るとか。リビングワールドとしては品物の在庫管理が不安に。
いろいろ端折りますが、翌年2012年の夏からは福岡に部屋を借りていました。あのまちには信頼している、大好きな友人たちがいます。
やはり決め手は〝人〟です。人なので。

とはいえ二人とも、地方都市にもう一つ拠点が欲しいわけではなかった。
東京と別の二拠点目に求めていたのは、広い地面(土)と水と空気でしたから、福岡の人的な恵みを享受しながらも、次第に煮詰まってゆきます。
併行して、ランドスケープデザイナー・田瀬理夫さんとの本『ひとの居場所をつくる』を書きながら、西村佳哲もこれからの日本での営み方についてより考えるようになり。
そして一年ほど前、神山で土地の交渉をつづけてくれていた友人をふたたび訪ね、ひとまず、ある空き家を借りることに。
築100~140年の農家です。東側の空が広く、朝の光がたくさん入ってくる、川沿いの家。
二人とも気に入って。大家さんにも快く受け入れていただけて。昨年11月から冬のあいだ高速バスで通いながら、片付け、解体、下地づくり・断熱、床貼り・壁貼りなど、一部、大工さんや仲間の力を借りながら進め。そしてまだ作業中の家に、1ヶ月ほど前に移ってきたわけです。
いまは、まだ途中だった工事(壁貼りなど)をつづけながら、交互に出張に出かけたり、庭先に植物を植えたり、進行中の仕事を手がけている。

わたしたちがなぜ、「広い地面(土)と水と空気」を求めたのか。そしてなぜ神山に来たのかは、このあとの仕事や展開の中で表現してゆこうと思います。
二人とも、それぞれ想いがあり、形にして差し出してみたい夢があります。
営みの変化を、見守っていただけたら幸いです。

by LW 2014/5/30