
エンカウンターのこと
13-08-21 西村佳哲
毎年秋、安曇野の渓谷沿いにある穂高養生園の「森の家」を借り切って、7泊8日の非構成的エンカウンターグループを開催している。
今年は例年より少し早い10月の上旬。あと7名枠で定員。毎年「こんなに休みとれる人が、自分以外にもいるんだな…」と感心することしきりなのだが、今年はどうだろう。
出来れば成立させたいので記事を一本書いてみようと思った。が、非構成的エンカウンターグループについて、僕はひとに参加を勧めたり、その良さを積極的に伝えたい気持ちがあまりない。自分が「面白い」と感じていることは言えるけれど。
なので「盛り」感を欠いてしまうそうだが、どこかにいる残り7名との出会いを期待しつつ…いや、人数集まらなければ今年はお休みにすればいいんだし(養生園には迷惑をかけてしまうけれど。そうしたくないが…)、ただ、いま書きたいことを書いてみようと思う。
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非構成的エンカウンターグループの存在を知ったのは、9年ほど前のことだ。
それ以前の数年間を含む当時、僕は誰かが開催したワークショップに参加するたび「これがワークショップなのか?(怒、ないし疑問)」と、おおむね不満足感を抱えながら家路に着いていた。
日本のファシリターの先駆たち、年齢的にいえば現在50代後半オーバーくらいの人たちには、本人の性格的な良さや面白さ、魅力とはまた別に「活動家」的な側面がしばしばあって、一見「場」は参加型で進むのだけど、その過程のところどこで、あらかじめ用意されていた答えや落としどころ、望ましさの存在を感じることがままあり、自分はそこに強い違和感を覚えていた。
教えてみたいことがあるなら「教室」を名乗ればいいし「講座」や「レクチャー」と銘打てばいい。そこに「ワークショップ」という言葉を添えているから、なにか別の期待が混ざってしまって実にまぎらわしい。
またそういう人たちの進行ぶりはファシリテーションというより、参加型のプログラムを介して行われるアジテーションやプレゼンテーションのように見えた。
こうした違和感は僕に限らず、ワークショップや参加型の場づくりに関心を持った人々のうち、少なからぬ割合の人が一度は抱いたことがあるんじゃないかと思う。
挑戦的な場づくりに挑む人たちもときどき見かけた。コンテンツ(内容)やテーマを意図的にあらかじめ用意せずに、ときには進め方もその場で形づくるようにしてワークショップやフォーラムを開き、しかし場は混乱のうちに終わる。収拾がつかなかった、と、あとから参加者が語る。
失敗/成功は誰にも判断出来ないことだけれど、主催者たちが期待したような自律性と充実感を持つ場は、なんとなく生まれたような生まれなかったような、よくわからないまま「あれは大変だったね」とあとでふり返られるようなイベントをいくつか垣間見たり、自分も体験して、「ただ手放しのフリースタイルでは場が失速してしまうようだし、いったい何が肝心かなめなのか?」という問いを握っていた時期があった。
その頃に「非構成的エンカウンターグループ」というワークショップがあることを知った。
日本でエンカウンターというと国分さんという人物が小学校に導入していった「グループエンカウンター」の方が有名。こちらは45分の授業の中である成果や教育目標が達成されるように、非常に構成的な、よく出来たエクササイズとして形づくられている。
が、非構成的エンカウンターグループは最初に輪になって座るところが決まっているくらいで(いや、その必要もないのかもしれない)あとは完全に不定形だ。10ccの曲に「人生は野菜スープ」というのがあるけど、そのタイトルのような感じで、水分から味から栄養素まで、その鍋に投じられた個々の存在だけでなにかが出来上がってゆく。
そのスープを美味しく感じているから毎年開いているわけだけど。(穂高養生園の食事が美味しい、というのもある…)
ちなみにこのワークショップの参加費はすべてファシリテーター役の橋本久仁彦さんと養生園に渡される。僕は単純に個人的な動機で関わっていて、主催部分を担い、当日は参加者の一人として数日間をすごす。
ファシリテーターであれ、親であれ、インタビュアーもそうだけれど、相手の主体的な動きをどれくらい〝待つ〟ことが出来るかで、そこに現れるものの可能性がきまる。
待てない人はたいていの場合「××××しなきゃ」と気持ちが焦って、先回りをしたり、自分の方からなんらかの関与を始めてしまうわけだけれど、そこが限界になる。
自分の想像を越えない相手や場への苛立ちがあるとしたら、多くの場合そこには関与技法上の課題があると思う。
非構成的エンカウンターグループは、カール・ロジャースが20世紀後半、軍の要請をうけて、ベトナム戦争から戻って来る兵士のメンタルケアにたずさわる心理士を、数多く・効果的に育成するために考案したプログラムが始まりであるとどこかで読んだ。
こうして書いていると「ファシリテーターに必要な関与技量を育みたい人は、このワークショップを体験しておいた方がいいよ」とか、そんな推しを書いている感が漂い始めていますね。
確かに勉強にはなると思う。種を埋めなくても苗を植えなくても、ある条件が整うと自然に発現してくるものがあることを、知っているのと知らないのとでは、人や場に対するかかわり方は大きく変わるだろうから。
でもなあ。そういうトレーニングに興味がある人は「Tグループ」にでも参加する方が役に立つんじゃないか。Tグループも非構成的エンカウンターグループも、どちらもファシリテーター(前者ではトレーナーとよばれる)に場やプロセスの質が大きく左右されるので、自分が信頼出来そうな人が見つかればだけど。
穂高で開催している非構成的エンカウンターグループのファシリテーションは毎年、大阪の橋本久仁彦さんに来てもらっている。
先に書いた10年ほど前のある時期、ワークショップに参加しては不満を感じていた頃に僕は橋本さんと出会って、しばらくした頃「この人、非構成的エンカウンターグループのファシリテーションも出来そうだな」と感じて、出張のついでに大阪の彼の家(町の喫茶店)を訪ねた。
話を切り出してみると、以前は熱心になさっていたことが判明。でも最近はあまりやっていなかったのだけど、そうだね、やろうか! という話になって、僕はその一ヶ月後に初めての非構成的エンカウンターグループを体験した。
それは橋本さんのファシリテートによるそれであって、カール・ロジャースのそれとは違うものかも。たぶん似て非なるものだと思う。でも信頼出来る感はあったし、握っていた違和感や疑問はこの経験に統合されていったのです。スッキリした。

七泊八日の非構成的エンカウンターグループが、なんの役に立つとか、なんの勉強になるとか、そういうことはやっぱり何も言えない。
以後、毎年あきもせず開催しているという事実があるだけで、橋本さんと僕のどちらかがこの世を去るまで年に一度、縁あって集まった人たちと野菜スープのような時間を味わってみたい。そんな感じです。
なにか惹かれるものを感じた人がいたら、お申込みください。8月末をひとつの区切りに開催・非開催を判断しようと思っています。
補足(13-08-24)
ファシリテーターの橋本さんによる告知メールが届いたので、ページに転載しました。
>橋本久仁彦・仁美さんのメール
後日談
この記事を書いたのち参加申込みは無事集まり、例年の人数で開催されることになりました。
by LW 2013/8/21