一日に歩ける範囲で暮らす

13-09-28 西村佳哲

益子・スターネットの馬場浩史さんが、去る7月28日に天寿を全うされた。55歳。

馬場さんに初めてお会いしたとき、彼はまだスターネットを始めていなかった。益子という土地にも出会っていなかったと思う。
南青山のお寺の脇のお家で暮らしながら、目黒の方でギャラリーを経営していて、たまたま出会った食うに困っていた若者のために屋台を拵え、路上の焼き鳥屋さん(おでん屋さんだったかな)をどうやればいいか教えて、具材の調達まで手伝っていたと後から馬場さんに聞いたのを憶えている。

面倒見のいい人だったと思う。自分にも身に覚えがある。あって余りない。

2005年と翌06年に、僕らはスターネットのZONEという建物で、リビングワールドの展覧会をやらせてもらった。

東京のギャラリーで展示する情景はまったく想像出来なくて。でもスターネットなら、パートナーの和子さんの仕事や星さんの料理を含み、足を運んでくれる人たちに「どうぞ!」と差し出せるものに出来ると思えて相談に行ったのだった。
快諾をもらい、本当に自由にやらせていただいた。

下は2年目の「風を待つ部屋」の準備風景。たぶん展覧会1ヶ月くらい前のワンカットだと思う。晒し布に、和子さんに貸していただいた本藍染めの布から共洗いで移してみた色味を、現場で確認している。

スターネットに行くと、いつも誰か知った人が来ている。雲の上に出て、そこで出会った人とお茶をしてご飯を食べ、他愛のない話を交わして、また雲の下に降りてゆくような。
一種のリトリートというか。

馬場さんは以前「自分の居場所くらい、自分でつくろうと思って」とスターネットを始めた気持ちを語ってくれたことがあるが、それは本人のための時空であり、けれど、まわりの友人たちのためのそれであり、これから出会う人たちのための居場所でもあったと思う。

リビングワールドの最初の展覧会(2005)は、スターネットに入ったばかりの渡辺敦子さんが担当。彼女はその後「かぐれ」というお店の立ち上げを担い、つくり手たちとの出会いをとても良い形で育てつづけている。スターネットは、学校のような場所でもあったなと思う。

10日ほど前、9/19に、故人を偲ぶ会がスターネットで催された。日暮れとともに川崎義博さんの司会で、「星降る夜會」と題された、馬場さんのことを語り合う時間が持たれた。

馬場さんたちが益子に移住する起点となった農家の山﨑さんが、そのなれそめを語っている。みんなは笑っていた。そして自分と馬場さんや、スターネットで過ごした時間を思い起こしていたのではないか。

丘の上にある別の建物では、馬場さんが撮りためていた写真の展示が行われていた。夜の雲。絵画のよう。

この日も丘の下のショップは通常どおり営業されていて、その感じがとても良かった。2階では、郡司さんが翌々日から始まる個展の設営をしている。

部屋の一角で馬場さんのメモ(2010)を見かけた。
ここ数年の彼は丘の上のギャラリーを工房につくりかえて、数名の若い職人的な作家たちと、土や革や鉄などの基本的な素材で生活のためのモノづくりを行う、新しい取り組みを始めていた。

その成果は、めいめいが形にしてゆくのだろう。

偲ぶ会の案内状に添えられた馬場和子さんの文章には、「スターネットは理想の暮らしの実践の場であるという故人の思いを受け継ぎ、深めてゆくことが私たちの役割かと思っています。
これまで通りこの場所で、住むこと着ること食べることを、妥協せず、これまで以上にしっかりと歩んで参ります。」とある。

馬場さんの言葉も添えられていた(下記)。いつ書かれたものかはわからない。

身体とは、いちばん身近にある「自然」。
身体に「きく」つまり自然に「きく」。
そうすれば人は、そんなに間違えないのではないかな。
やっぱり僕は人が一日に歩ける範囲で暮らすことが理想だな。

by LW 2013/9/28