公園のような場所

2014-9-24 西村佳哲

陸前高田・広田湾を見下ろす山腹に生まれた「箱根山テラス」という場所について、先日「それはなにか?」について書き、次は「どんなプロセスがあったか」を書く予定だった。

けど、オープン後10日目をむかえたその場所に昨日まで4日間、20数名と滞在した二つのワークショップの時間がとてもよかったので、「どんなふうにすごせたか」ひとまずザクッと書きます。

ワークショップは閉じた部屋でなく、テラスにつながるロビーの大テーブルを中心に進んだ。
その横を、近所の人や家族連れの来訪者が、まったく遠慮する様子もなく通り過ぎてゆく。

一緒に滞在した、テラスの設計者でありランドスケープデザイナーの長谷川浩己さんは、「おそらくその先に広がる眺望へ意識が向かうから」と話していた。

そうだと思うし、それだけではない気もする。

ひとの動きだけでなく、シャツの下を抜けてゆく風を感じながらワークショップの時間がすぎてゆく。気持ちいい。屋外でワークショップをひらいた体験はもちろんあるけれど、それともまた違う。

空間的な風通しの良さが、そこにいる人々の心のありようにも影響している気がした。

小グループで話す時間を提案すると、ロビーまわりや、テラスのいろんな場所にみんなが散ってゆく。

この場所を2年前に思い浮かべたときは、「箱根山テラス」という名前と、大きすぎるウッドデッキと、広田湾を越える遠い眺望のことだけはっきりイメージ出来ていた。

その時点ではそれだけで、いま実際に生まれた空間の隅々を満たしている仕事は、最初のイメージをあっさり超えている。

海辺の磯場のように、いろんな生き物が身を寄せてゆく細部が設計されている。
見渡して「あそこに行ってみたい!」と思うキャッチーな場所もうまく点在していて、これを空間実装したオンサイトの設計チームは本当に見事だなと思った。

テラスばかり褒めていると、建築設計の会田さんがむくれてしまうかも。連続性は実に自然で、双方の仕事に対する敬意が感じられる。ありがたい。

コンセプトやアイデアは大事なものだけど(それがないと始まらないので)、ただそれを形にしただけのような仕事は、単調でつまらないものになる。

「古典は多義的である」という言葉を思い出す。

ワークショップが進んでゆく同じ場所で、地元の人々がお茶していたり、家族連れの子どもたちが隠れんぼをしていたり。
たまたま出会った誰かと誰かが「元気!?」とか、立ち話をしている。僕もこの4日間のあいだに双方想定外の友人3名と、ここでバッタリ会った。映画プロデューサーの相澤久美と、みかんぐみの竹内昌義、このプロジェクトにかかわる手がかりの一つだった中野里美さん。

朝ご飯を食べていたら、車にヨガマットを積んできた地元出身(現在は仙台在住)の女性がテラスの一角でヨガを始めていたり。参加者の一人が、その人からヨガを教わり始めたり。

なんというか「公園」のよう。

もちろん〝ブランコ、すべり台、砂場〟三点セットのそれではない、多様な年齢、多様な人数規模、いろいろな時間のすごし方が同時多発的に展開してゆく都市公園のような良さが、山の中腹に突如現れていて奇跡的だ。

右のテーブルに付いているのは、おそらく地元の中高年グループ。この高さまではバリアフリーで、駐車場から同じレベルで移動できる。

約20年前にパタゴニア本社を訪ねたとき、案内してくれた女性が「わたしたちの仕事は、人が厳しい自然の中でも、快適にいられる状態をつくることです」と話していた。

それはアウトドア・ウェアについて語られた言葉だったけれど、その後の彼らの動きを見ていると、ただ機能的で継続可能な衣服をつくっているという話ではなく、ひとが少しでもまともに働いて・生きてゆける場所を、この社会の中に、会社やビジネスという形で実装しつづけているように見える。

この箱根山テラスも、同じような現場になってゆくといいと思う。

連日、地元の方に来ていただいたり訪ねて話を交わした。この日の夜は陸前高田市役所 企画部の村上知幸さんと、名古屋市から派遣職員としてかかわりつつ地元の人々に慕われてきた愛されキャラの西尾建人さんを囲んで。

空間は楽器のようなもので、人がかかわることで音楽が生まれる。

ここはどんな音を出すかな…と思いながら仲間たちと形にしてきて、20数名の合同ワークショップという出力高めの合奏を試み、「ああ。こんなふうに鳴るのか!」という嬉しい体験をした。

みなさんもどうぞ。:-)

>箱根山テラス ウェブサイト
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by LW 2014/9/24

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