スコール

2015-10-10 西村佳哲

年末のワークショップが定員に達したので、お申込みの12名に連絡メールを。末尾にこんな余談を書いた。

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あるとき、フィジーへ旅に出ました。
カヤックで海峡を渡り、島の村々を海岸沿いに訪ねて、休みの学校に泊めてもらったり。

学校といっても、もちろん平屋建てで、屋根は内側から丸見えのトタン一枚です。
南の家のつくりは野外とツーツーで、カヤックで沖合いを漕いでいる最中も、村の家の中で子どもが親に叱られている声がしっかり聞こえたり。
建物のなかにいても、外の音がツーツーで入ってきます。

その校舎で休んでいたとき、スコールに逢いました。

遠くからだんだん近づいてくるんです。
音でわかる。

何億個かわからないけど、空から落ちてきた無数の雨粒が、地面や草花、
家々の屋根、外にあるタライや椅子、
そこらじゅうのものをことごとく打ち鳴らしながらこっちにせまってきて、「わーっ」と思っていたら「ザアッ!」と本体に呑み込まれた。

学校のトタン屋根は鼓笛隊の大合奏状態で、
さっきまで一方向から近づいてきていた音は、いまや全方位です。

「屋根ってすごい!」と思った気がする。(笑)
「雨の中に居れる!」とか。

にしても、世界は生きた楽器のようなもので、
その端々でいつも音楽が生まれているんだなと思った。

その旅から帰ってしばらくの間、CDやレコードを再生する気にまったくなりませんでした。
窓を開ければ十分で、
もっぱら風が揺らす梢や、登下校の子どもたちの声、
鳥の鳴き声を楽しんでいた約一年間があったのを、ときどき思い出します。

20年ほど前の話。
「インタビューのワークショップ」と、このときの体験は自分の中で通じるものがあります。

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この旅は、空港で飛行機のタラップに出た瞬間から「ブワッ」と南国の鳥たちの鳴き声に包まれて、
いまでも思い出すと、そのときの気温というか肌の感じが呼び起こされる。

車で北西部に移動し、海峡をカヤックで渡って「Rabi」という島に向かった。

この海峡を渡るあいだに、仲間の一人の艇は「いなばの白ウサギ」の泥舟のように少しづつ沈んでゆき(FRPの船体に穴が空いていた)、
ほかの数艇も見事ちりぢりになり、
自分もふくみなかば遭難したのだけど、その日の夜には Rabi の村の公民館に全員なぜか揃って「いやあ、今日はなんだか」とごはんを食べていた。

遭難と晩ごはんの間の記憶があまりない。

島の人たちは視力がよくて、遠くまでよく見える。

旅の後半、別の村に向かって漕いでいたときのこと。
かすかな歌声のようなものが、なんだか聞こえたような、聞こえなかったような。
でも次第にハッキリしてきた。

水平線に僕らのカヤックが見えた頃から、村の人たちが木の下に集って、歌いながら待っていたんですね。

フィジーの人は誰でも歌と踊りが上手かった。
もっぱら歌ったり、踊って暮らしているんだろう。

伝統芸能とか職人技の工芸品のようなハイカルチャーとは別に、わたしたちが日々なにげなく、当たり前のように繰り返していることの積み重ねが「文化」なんだよな、と思います。

by LW 2015/10/10