自然の時間、人工の時間

時計というものはどんなに真新しくても、置く場所を定めたその瞬間から、ずっと以前からそこにあったかのような感覚をかもし出す。
時計は空間に溶け込みやすい、という話ではない。私たちは時計を通して「時」を見る。時の流れに終わりも始まりもなく、時計は無限の時の断片を絶え間なく示しつづける。時の断片は時計の機構によってその姿をさまざまに変えていく──。

2006年2月16日神戸空港の開港日、EarthClockを見に行った。1階の到着口を出ると、若いおねえさんが神戸に降り立った客ひとりひとりに記念品を配ってくれる。その横では消防音楽隊が「ダンシング・クイーン」などの曲を演奏していた。

国内初の市営空港・神戸エアーターミナル

EarthClockの2階の出発ロビーへ。この日は搭乗客だけでなく物見遊山の客や報道関係者が多い。ロビーの片隅では放送局が簡易スタジオを作って生中継を行っている──。
総事業費3,140億円。賛否両論の中、開港した“国内初の市営空港”の今後は? 伊丹、関空との競合は? 新幹線と比べると? 神戸の夜景を海側から望める新たな観光スポットの誕生。マスコミとしては話題満載の空港である。

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撮影:2006.Feb

EarthClockはそんな喧噪をよそに飄々と動いていた。直径2.5メートルの正円のスクリーンに地球の映像が映し出され50秒間でグルッと一周する。
神戸から神戸へ一周すると、地球の映像がアナログ時計盤のCG映像に切り替わる。アナログ時計の秒針がてっぺんを指す。それが分報。60分の間に、59回の分報と1回の時報が表示される。

アナログ時計のCGは60種のデザインが用意されている(正確に言うと20種のデザインに各3種のカラーバリエーション)。10秒間の分報画面が終わると地球の映像に替わり、再び50秒間の地球一周が始まる。

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EVシャフトを時計台に見立てるアイデアは、鈴木弘樹さん(栗生総合計画事務所)が

日影線(にちえいせん)──つまり昼と夜の境目の線がリアルタイムに地球の映像上に映し出されている。

地球の映像自体はむろんライブ中継のものではないが、日影線の現在位置を算出して視覚化している。
いまどの都市が朝を迎え、どの国で日が沈んだか、EarthClockの地球の映像が一回転すると一目でわかる。日影線にかかる主要都市の時刻がデジタルで小さく表示される。

朝になると、いっせいに鳥がわあっと…

国や地域で時間の流れが違う。同じ時間帯に属していて時計は7時を指していても、すっかり明るくなっている町もあれば、まだ日の昇っていない町もある。そうした地球のさまざまな時間を一望できるというわけだ。
リビングワールドの西村佳哲さんがこんな説明をしてくれた。

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東京学習出版社のPDFデータより

「中国は東から西までアメリカ(ハワイやアラスカを除く)並みの幅があるのに、同じひとつの標準時を使っている。
 インドと日本の時差は3時間30分、ネパールは3時間15分。30分や15分の時差というのは周囲の国との違いを明確にするもので、ある意味、時間的な鎖国ともいえる。時間って政治の道具なんだよね」

ふむふむ。たしかに中国の西の端では、午後3時に太陽が真上に昇るという話を聞いたことがある。日影線は人工的に作った国境や標準時間帯の区分などお構いなしに通り過ぎていく。
「産業化社会の時間ではない時間って何だろう? ということが頭にあった」と西村佳哲さん。EarthClockのコンセプトは人工の時間と自然の時間との対比を意識することから生まれてきた。

「朝になると、日影線上でいっせいに鳥がわあっと鳴きはじめる。日没側のライン上では、犬が吠えていたり、カラスが寝床へ帰ったり……。
 都市では24時間化が進んでいて、僕らは昼とか夜とか関係なく人工的に定められた時間の中で生きているんだけれども、大きな地球の上では圧倒的に自然の時間が支配していているんだよね。
 日影線がオルゴールみたいな感じで回りつづけて、蛙が鳴きはじめたり鳥が鳴きはじめたりする。
 それが面白いと思って何かで表現してみたいとずっと考えていたんです」

というより、メディア

空港ほど厳格に人工的な時間によって支配されている空間はないだろう。昼夜を問わず、利用者も航空会社の社員も時間通りの行動がつねに要求されている。
その人工の時間のシンボルがFIS(フィズ。航空機の運行状態などを示す案内板)であり、EarthClockは出発口の上のFISやそれにコントロールされた搭乗客たちを高みから飄々と眺めながら、もうひとつの時間を浮かび上がらせている。

不思議なことにEarthClockの地球は前方に膨らんで半立体に見える。
弧を描く日影線が立体感を与えているせいだろう。円形スクリーンが下に向かって斜めに傾いているせいもあるかもしれない。地球は球だという人間の潜在意識が脳で地球の映像を立体化しているのかもしれない。偶然が生んだ錯覚で、意図したものではないという。

映像はプロジェクターで前方斜め下から投影している。円形の液晶ディスプレイを設置することも考えたが費用がかかりすぎるために実現しなかった。
フロントプロジェクションより、後ろから投影するリアプロジェクションのほうが鮮明な映像になるが、スクリーンはエレベーターシャフトの壁に設置されるので背後に設備を埋め込められない。出来るかぎり鮮明な画像が得られるように1万ルーメンの明るさのプロジェクターを2台使って、正確に画像を重ね合わせている。

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時計のモーションデザインは、根本仙弥さんとのコラボレーション

地球の画像に、分報を示す時計盤の画面が織り込まれるのは「地球にかかる日影線の映像だけでは、イメージ映像のように思われてしまいかねないので、時計と認識してもらうため」と、もうひとつ大切な理由がある。
スポンサーを募り時計盤に企業名を入れて、約4,500万円かかる制作費にあてるためだ。

現在協賛企業は10社。2006年5月から時報画面では、協賛各社がEarthClockのために制作した30秒間のブランド映像が交替で流れる。しっかり広告媒体でもあるのだ。
というよりEarthClockはメディアなのだ。

アートにも時計にも広告にも変幻自在に姿を変える。地球規模の時の流れを考えるメディアアートの装置として設計されていると同時に、経済的に自立したメディアとしてデザインされているのである。(藤崎圭一郎)

→その2:空港のための音楽
 

by 2007/1/14