プレゼント考

北欧のある作家の短編に、八十才の誕生日をむかえた祖母へのプレゼントに頭を悩ませる、若いカップルが登場する。
祖母は画家。長く生きていることもあり、必要なたいていのものは既に持っている。ものの良し悪しに関する尺度も明確だし、じっさい趣味も良い。

デパートや、今でいえばセレクトショップのようなお店で値段のはる趣味の良い逸品を買ったところで、決して喜ばれないことを、親戚一同よく心得ている。

八十才の彼女は「ちょっとした愛情が感じられるものでいい」と言うのだが、その言葉がまた彼らを悩ませるようだ。
贈る側の思い入れだけでは成立しないあたり、プレゼントの奥深さにあらためて気づかされる。
 

自分はこれまでどんなプレゼントをもらった時、最高に嬉しかったかな?
小さな頃は、欲しいものが嬉しいものだった。初めて買ってもらったレコードとか、自転車とか。でも今、欲しいものを聞かれてからそれをもらったところで、さして嬉しくないだろう。

サプライズが欲しいのか。いや、驚ければいいってわけじゃあないな。

先の祖母ではないけど、セレクトショップなどで選ばれた、ちょっと気の利いた(感じのする)グッドデザイン・アイテムをもらっても、決して喜べないという気持ちもわかる。
趣味のものなら自分自身の趣味で厳選したいし、デザイナーの趣味を押しつけられるのもごめんだ。
 

本当に嬉しい気持ちになるのは、
自分がなにかで満たされたような気持ちになるのは、
満足感を得られるプレゼントとは、いったいどんなものだろう?

人はプレゼントそのものが欲しいわけではなく、それを通じて、また別のものを受け取っている…。
と考えていたら、英語の”present”が、「贈り物」と同時に「存在」を意味していることに気がつき、ハッとした。これはすごく大事な話かも。(西村佳哲)
 

八十才の祖母が登場する短編は、トーベ・ヤンソンの「軽い手荷物の旅」におさめられている。プレゼントの話は最初の2~3ページで終わってしまうのだけど、その後につづく話も魅力的です。
トーベ・ヤンソンがムーミン後に書きつづった、大人向けの物語を集めたシリーズの一冊。祖父江慎さんのブックデザインが素晴らしい。

→他のエッセイもみる
 

by 2006/12/16