セントギガ
St.GIGA(以下セントギガ)は今から15年前、1991年に開局した放送局。いまはもう存在しない。
J-WAVE・開局時の編成を手がけた横井宏さんというプロデューサーが「最後の仕事を」と言いながらセントギガをつくり、開局の三年後、本当に逝ってしまった。
WOWOWと同じタイミングで始まった衛星放送で、音声のみ、だけど有料。WOWOWを契約した人は、無料で聴けた記憶がある。
僕は友人の家や事務所で、ときどき耳にしていた。
セントギガのコンセプトや編成方針を知ったのは後年。もう放送が終わってからだ。
・ノンコマーシャル(CMなし)
・ノンDJ(おしゃべりなし)
・ノンストップミュージック(延々とつなぐ)
後の二つは、初期のJ-WAVEでも大事にされていたもの。横井さんは彼の放送の理想型を、このセントギガで完成させたかったのだろう。
有料放送ゆえ「ノンコマーシャル」で突き進んだセントギガは、スポンサーを獲得するために小割りの番組をつくる必要がなく、放送局につきもののタイムテーブル(番組表)を持っていなかった。
そのかわりに、「タイド・テーブル」というアイデアで、全体の流れをつくっていた。
コンセプトブック「夢の潮流」より
なぜ満潮=高揚なの?という疑問はあれど
潮の満ち引きに沿って、音のうねりをつくる。
スタジオには、その月の潮汐表(釣り師やサーファーには馴染み深いグラフ状の図)が貼られ、サウンドデザイナーは前のデザイナーの流れを引き継ぎながら(この辺は昨今のクラブDJと同じ)、タイド・テーブルに沿って音を、つないでつないでつないでいた。
(タイド・テーブルなどの資料は、murasakiさんという方のウェブページで見ることができる)
二年後、任天堂の資本参入と同時にごくふつうのラジオ局的な番組構成にかわってしまうのだが、その日まで、ある意味ノンストップの「全一曲」が流れていたのかと思うと、たまらない。
テイ・トウワが24時間つないでいた日もあったようだ。
ある晩、友人のグラフィック・デザイナーの事務所に遊びに寄った僕は、徹夜で働く彼に付き合ってアートブックやマンガを読んでいた。事務所にはU-SENが入っていて、開局まもないセントギガが流れていた。
一晩中、ゆったりとしたハウスミュージックが途切れず流れる中、友人は淡々と仕事。自分はもくもくと読書にいそしんでいたのだが、朝の四時半頃、長ーいクロスフェードで、いつの間にか音楽が、どこかの浜辺の波音にかわっていた。
そして女性のアナウンスがぽつりと一言、「いま知床で朝陽がのぼりました」と入った。
そしてまた長ーいクロスフェードで、音楽に戻る。
その約三時間後、またいつの間にか波音に。そして今度は、「いま波照間島で朝陽がのぼりました」という一言が入った。
こんなことを伝える放送局は、どこにもない。
ノンストップで音楽を流すラジオは、いまなら沢山ある。でもセントギガは音楽だけでなく、「自然の時間」を伝えてきたから驚いた。
時間を自然だと思っている人は多いかもしれないが、時間には大きく二種類あって、片方は人工物である。
私たちは振り子時計の発明以来、「時計時間」という人工的な時間に沿って、社会や自分を動かす度合いが強くなった。
ラジオやテレビなど、私たちのまわりの放送メディアは「今はこういう時間」「今日はこういう日」という情報を伝えてくる。
今は朝、起きる時間ですよ。行ってらっしゃい。お昼になりました。夕方、大相撲。夜ドライブ中のカップルのために軽快な音楽を。もう深夜、おやすみなさい。このまま朝まで。はい朝になりました。今日も一日頑張っていこう。
ラジオは「時計の時間」に沿って組み立てられ、同時にその世界像を強化している。
でも、それだけが時間じゃあない。
以前、モンゴルの草原を旅した時、遊牧民は太陽がのぼると羊をつれて放牧に出かけ、地平線に沈む頃になるとゲルに帰ってきた。かれらは太陽の時間、つまり「自然の時間」で暮らしていた。
地表面のあらゆる生物は、基本的にこっちの時計で生きている。蜜蜂の社会も、バクテリアの活動も、渡り鳥の営みも、珊瑚の産卵も、太陽や月の周期がつくりだす自然の時間で刻まれている。
初めての海外旅行でヨーロッパに行って、「夜の九時なのに明るーい!」と驚いている時、そこには「時計時間」と「自然時間」のズレが生じているわけだ。
私たちのまわりには、私たちがつくったわけではない世界があって、とうとうとその時間が流れている。
アウトドアというと、ゆたかな大自然を思い浮かべるのが普通かもしれないが、都市で暮らしていても、窓をあければそこは文字通りアウトドアだ。
冬の関東平野には中国から風にのってきた黄砂が降り、庭の枯れ枝の下でカエルが冬眠している。一日の中で潮が満ち、潮が引き、東から順番に朝の鳥が鳴き始める。
そんなことを伝える放送局があるんだ!という驚きを、セントギガはあたえてくれた。(Wikipediaの「セントギガ」/ある個人サイトにまとめられたその後のセントギガの経緯)
歌手の大貫妙子さんが、ある本に「アフリカの草原に日曜や月曜はない。今日は昨日と少し違う、同じ一日」といった話を書いていて、すごく共感したことがある。
今日はクリスマス。
アメリカは一日遅れでイブを迎えている。が、以前僕ら(リビングワールドの二人)が一晩キャンプをして過ごした、メーン州のある湖の小さな無人島では、ただの冬の一夜が、静かに過ぎているんだろう。
ほかのラジオ局がクリスマス一色に染まるこの日に、15年前、セントギガはどんな音を流していたかな?(西村佳哲)
追記:
友人の事務所でセントギガを体験した後年、その制作に関わっていた人々に出会った。西田ヨリ子さんや、川崎義博さん。川崎さんとはその後、Sound Explorer(MSN, 1997)、サウンドバム(1999縲怐jの仕事を一緒に手がけている。
その彼にすがって、というかおねだりして、セントギガを一晩だけ再現してもらったことがある。2002年秋、IDEEの東京デザイナーズブロック・SPUTNIK DOMEで、「Traveling with St.GIGA」と題して日没から夜中の干潮ピークまで、九時間ほど。
川崎義博/川崎寛/石井亮/一ノ瀬響/シマダツトム/O:g(春日泰宣・亜紀)/Overhead/タカオカシンヤ、そのほかIDEEのみんなや担当の池田史子(現gift_)と楽しんだ。この夜のノーカット版CD(全8枚)は、ありがたくもLWの仕事場のヘビーローテションになっている。
映像で参加したシマダツトムさんが、その夜の小さなムービーをつくってくれている[下]。彼は来年(2007)の3/24~31まで、川崎義博とともに横浜・ZAIMで「Sound and Vision(仮)」という展覧会を行うそうだ。
VIDEO: Tsutomu Shimada
by 2006/12/25