アップルのパッキング

僕らは自分たちでつくったものを販売している。そのこともあってか商品の包まれ方に多感で、ビニール袋をたくさん使うパン屋さんは苦手。新聞紙の袋に焼き芋を入れてくれる八百屋さんが好きだ(そんな季節も終わりですねえ…)。

写真はノートPCのパッキング材。白いスチロールはアップルコンピュータ・MacBook Proのもの。
段ボールのスペーサーはIBM・ThinkPadを買った時の。

旧ThinkPad(現Lenovoではなく)のパッキングは素晴らしかった。
質素でスマート。外箱は二色刷り程度。インクの使用量も少ないし、段ボールの色味が生きている。緩衝材はすべて段ボール製で、開梱後、プラ系の梱包ゴミがほとんど出なかった記憶がある。

先日自宅に購入した、ルイスポールセンの照明も同じく。ガラス製のシェードを守っているのは、上手に折り曲げられた段ボールだけ。感激!
うっとり眺めてから、たたんで束ねて資源ゴミへ。

いいパッキングに出会うと嬉しい。商品と肩が並ぶぐらいこのパッキングはいいなあ…と、しみじみ感じ入ることがある。
そういう時、僕らはどこかの誰かが絞り出してくれた知恵や、重ねられた仕事、配慮、そういったものに触れているのだと思う。
 

で、問題はアップル・コンピュータなんですよ。
僕ら(リビングワールド)はアップル製品が好きだし、毎日それをつかっている。
スタンフォード大学で行われたジョブス(Apple CEO)のスピーチにも共感する。

アップルには、アメリカ西海岸の対抗文化の印象が残っている。イメージも健康的。エコロジカルな企業だと、多くの人が思いこんでいるに違いない。
ウェブサイトには環境に関するページがあり、パッケージについても、リサイクルと省資源化をうたっている。
 

しかし、環境保護団体グリーンピースは、アップルを評価していない。取り組みが進んでいる企業・進んでない企業の二つに分けると、後者に入れられている。

実際、アップルの商品は過剰梱包だ。売り場でのイメージづくりは上手だと思うが、ThinkPadやルイスポールセンの逆をゆくパッケージ哲学。
冒頭の写真はその一例だが、石油系の梱包材が多く、商品を買うたびに「どうせいっちゅうの…」と憂鬱な気分になる。新しいiPod shuffleは、とくにひどかった。
 

デザインを教えている立場からすると、アップルのパッケージ・デザインは注意して扱いたいサンプルだ。
話していることや対外的なイメージは良いのに、実際にやってることはまるでいけてない、そんな存在が増えていると思う。残念ながら、アップルもその一例かもしれない。

アップル・コンピュータは、パーソナルコンピューティングという分野を開拓した。初期には「人々に力を」というスローガンもあったと思う。
HyperCard、DTPやDTMなど、個人の表現力を拡張する試みをかさねてきたわけだけど、圧倒的なシェアを獲得するに至ったiTune & iPodは、表現というよりむしろ消費に力を与える商品。…いや、そうとも言い切れないか。うーん。

以前ある人が書いていた、「60年代の音楽には力があった。でも、何よりも今とちがうのは、音楽を聴く側にも力があったことなんだ」という言葉を思い出す。
iTuneやiPodについて、このことをどう考えたらいいだろう?
アップルに警戒している自分がいるんですよね。
(西村佳哲)
 

→他のエッセイもみる

by LW 2007/3/27

Living Worldをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む