Feb 21, 2026
昨年9月に訪ねた雲仙のことを書きたい。海沿いにある小浜という町で「プロジェッティスタ城谷耕生」という展覧会が開催されていた。
城谷さんはこの小浜で生まれたデザイナーだ。1991年にイタリアに渡り、ミラノを拠点にキャリアを積み始めて、アキッレ・カスティリオーニやエンツォ・マーリなどモダンデザインを切り拓いた巨匠たちのもとに足を運び、学び、協働した。
私は1998年の夏、雑誌「コンフォルト」の取材で編集チームとミラノを訪ねた。そのとき現地側のコーディネイトを担ってくれたのが、この城谷さんだった。
すごくよく喋る。カフェやレストランの卓を一緒に囲みながら、「自分にない資質だわー」と活火山を見上げるような気持ちですごした。
「パッション」という言葉を私はあまり使わないけど、それが服を着て歩いて喋って、デザインもしているような若者で、薫陶を浴びているカスティリオーニやイタリアデザイン界のキーパーソンたちに惜しげ無くつないでくれた。
コンフォルトと建築資料研究社の許諾を得て、この取材で書いた記事のうち2本を、先日noteに公開した。(2026年2月)

アキーレ・カスティリオーニ|インタビュー(1997年)
ジョバンニ・サッキ|インタビュー(1997年)
ムナーリはすでに亡くなっていたが、アオイ・フーバーさん(グラフィックデザイナー)のご自宅にも案内してくれて、彼女の猫が膝上に乗ってきた瞬間は人生のハイライトだ。
小さな生き物が与えてくれる他愛のない祝福、忘れられないものだなー。
それはともかく「プロジェッティスタ城谷耕生」の展示がとてもよかった。
城谷さんと私はミラノで別れたっきりで、連絡もほとんど交わさなかった。が、彼が2002年頃に日本に戻って生まれ故郷に仕事場を構え、イタリアで学んできたことを集まった若者たちに惜しげ無く投じている気配は、東京にもよく伝わっていた。
その時期に彼がどれだけ本質的な仕事をしていたか。つまりなにをデザインしたとか評判になったという話と別に、一つひとつの仕事が、それにかかわった人々が「育つ」機会になっていたかどうかが、大変よく可視化されていた。
ずっと気になっていたことが少し見えて気持ちが楽になった。あなた、よくやったね!


城谷さんは2020年に亡くなっている。
仕事を通じて「人」と「関係」が育つ。かかわった人々の視界が広がり目に映る景色が変わって、結果としてつくり出されるものが生まれ変わり。関係の線の数が増え、新しい動きが起きやすくなる。
これらは仕事の副産物ではなく、これこそが主産物だと思う。
逆に「人」も「関係」も育たないような仕事は価値が低いと言っていいんじゃないか。どんなに報酬がよくても搾取的で、関係も育まない仕事は。
で、展覧会「プロジェッティスタ城谷耕生」もその中で行われていたシンポジウムも、城谷さんの足元の土壌から生まれた作物のようだった。

私は城谷さんとミラノで別れたっきりだったこともあり、心のどこかにまだお別れが出来ていない、しんみりした気持ちもあった。
でも小浜に行ってみると、展示にもシンポジウムにも城谷さんを偲ぶ空気感はまったくなくて、みなさん次の世界に向かっている。彼に学んだことを語りながら、でもそれで自分はなにを始めているか、試みているかという話を交わし合っていた。
いちばん湿っぽかったのは城谷さんを昔から知っている小浜町長で、そのコントラストも愉快だったな。
展示設計を含み全体をまとめていたのは城谷さんのもとで育った若手の一人で、いま小浜で景色デザイン室を主宰する古庄悠泰さんとパートナーの結さんだ。大変いい仕事。半年近く経ってしまったけど、おつかれさまでした!
「いい仕事」と書いたけど、いい仕事とはなんだろう?
25年前にカスティリオーニが聞かせてくれた話をメモとして残しておきたい。記憶で書きます。

カスティリオーニ イタリアの食堂に入ってテーブルにつくと、コップと一緒に、水を入れたデキャンタ(上がラッパ状に広がった水差し。たとえばこういうの↓)を持って来てくれるでしょ。

で、注文を終えるとそれぞれコップに水を注ぐ。自然にバランスのいいところを握って、手から滑って落とすこともない。水は自然に注がれて、テーブルに置いて戻して、倒れる心配もしない。誰もデキャンタを気にしていない。デザインを誰も気にしていない。ただ、いい時間が生まれている。そういうのがいいデザインだと私は思うんだ。
下はカスティリオーニのデキャンタ。(www.fondazioneachillecastiglioni.itより)

展覧会「プロジェッティスタ城谷耕生」| Instagram