Mar 28, 2024

月に一度会って話をきいたり交わしている若い友人がいる。彼は小さな会社の代表で、もう4年になるかな。ボランティアでなく謝礼をいただいているけど、大きな金額じゃない。互いの楽しみのような側面もある。人間的な相性がいいんだろう。カフェで1〜2時間すごし、次の日取りを決めて別れる。

指導的な関係ではないのでメンタリングじゃない。目標設定とかしないのでコーチングでもない。本人の悩みを扱うわけじゃないので、カウンセリングやフォーカシングでもない。

ただ最近の仕事や暮しの話をきいて、関心したり、一緒に「うーん…」と唸ったり。自分の中からもなにか浮かんできたら、伝えたり伝えなかったり。様子を見つつ、きいたり語り合うということをつづけている。
「きく」ことに徹底していない。関心している時間がいちばん多いかな。彼を尊敬しているのだと思う。

昨日がちょうどその日で、終わってから珍しく彼の父親(会長さん)と合流して一緒にご飯を食べた。食後、お茶を飲みに上がったラウンジから見た月が見事だった。
 

2011年に書いた『いま、地方で生きるということ』に、笹尾千草さんという女性のインタビューがある。彼女はその頃、故郷の秋田で仲間たちと働いていて、でもいろいろあって秋田を離れ(詳しい事情は知らない)、いまは関東のどこかにいるはずだ。

一度か二度お会いしただけだけど忘れられなくて、よく思い出す。機会があればまた会いたい。本には、徹夜明けの朦朧とした意識のなかで、切れ味のいい話を語ってくれた彼女との時間が残っている。

笹尾 やっぱり地域に誇りを持って暮らすことが、豊かさなんだなって。
 経済的な意味合いとは違う豊かさは、どれだけその場所に誇りを持てているかということと、身近な人をどれだけ尊敬できているかということ。
 尊敬できる身近な人がどれだけいるか? というのは大事なことじゃないかな。百杯会はそれを実践してゆく会なんですね。遠くからゲストを呼ぶわけじゃない。ほんとに身近な人を呼んで、その人の話の中から尊敬できる部分を見つけてゆくというか。〟

「百杯会」は、むかし彼女の祖父がひらいていた飲み会で、地域のいろんな人が集まって、小さなお猪口で百杯飲む。そんな集いを彼女が不定期で復活させていた。

〝ある日、家の近くをブラブラしていたんですね。そうしたら近所のおじさんに話しかけられて、「あなたのとこのお爺さんがやってた百杯会というのは、面白かったなあ」と急に言われた。
 お爺ちゃんは医者なんです。でもそれは酒飲みの会らしくて、「俺は墓石屋だけど、百杯会に行くと偉い先生とかいろんな人が来てて、俺みたいな学のないのにもいろんなことを教えてくれて、ほんとに面白かった」って言う。〟

〝昔は遊びがあんまりなかったからもう二晩とかやってたって。べろべろに酔っ払うんじゃなくて、いろいろ議論をしながら。ふーっと酔っ払ってきたら休憩して、醒さめてきたらまた飲んで……って延々飲んでる会なんです。〟

「身近な人の話の中から尊敬できる部分を見つけてゆく」。仕事であれ生活の中であれ、私たちの人生の中に、そんな時間や体験が少しでも多くあるといい。
人間が、人間を誇らしく思う気持ちの有無が、私たちを支えていると思う。

自己肯定感が必要とかよく言われるけど、それは自分起点で始まるものじゃないんじゃないかな。自分の努力でなんとかなるものではないんじゃないか。
周囲の人々の中に、まちの片隅に、誇らしく思うものを感じ取るところから始まるんじゃないか。

 

『増補新版 いま、地方で生きるということ』(ちくま文庫)

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 >7つの逐語録 4月30日〜5月4日
 >3泊4日編 5月5日〜8日

 

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