
Jan 26, 2022
12月に「ドライブマイカー」を観て、濱口竜介さんの存在を知り、先日「偶然と想像」を観に行ってパンフレットを買って帰り、エリック・ロメールと再会した。
「偶然と想像」のパンフレットには、ロメールの映画に編集でたずさわってきたマリー・ステファンさんと濱口さんの対話が、10ページにもわたり収録されている。自分には最高のサプライズだった。
大学生の頃私はロメールの映画がかかるたび、小平の武蔵美から六本木のシネヴィヴァンまで足を運んでいた。「海辺のポーリーヌ」「緑の光線」「友だちの恋人」「レネットとミラベル/四つの冒険」「冬物語」あたりがちょうどその時代と重なっていて、好きな漫画を読むように何度も何度もみた。
みんなそうじゃないかと思うのだけど、学生の頃は、漫画も、映画も、レコードにしても、同じものを何度もくり返し味わった。お金がなくて次々に手を出せないのは、まるで悪いことじゃなかった。
年をまたいで濱口さんの映画を見ながら、「なんでもない時間」のこの手触りや「十分に満たされてゆく感じ」はなんだろう。どこかで覚えがある…と気になっていたのだけど、ロメールだったんだ。対談で濱口さんはその想いを力強く語り、ステファンさんと、ロメールが「きくことを大事にしてた」話を交わしていた。
いま自分は「インタビューの教室」をワングループ進めていて、明日が4日目。「きく」ことをテーマにした全6日間のプログラムを、5人の参加メンバーと一緒に歩いている。
人が「きく」とき、可能になるのは「はなす」ことで、「きく/はなす」二人の中で起きていることを、野外における自然観察のように重ねている。私にとって「きく/はなす」ことは、一つの山のようなもので、小人数のグループを案内しながら山歩きを一緒に楽しんでいる。この山が好きで、この山の良さをよく知っている感じがあるのだけど、その感じを支えている小柱の一つというか原体験の一つが、大学生のころ夢中で浸ったロメールの映画でもあったことに気づいて、幸せな気持ちだ。
自分がわけもなく惹かれるものにたっぷり浸るのは、大事なことだと思う。