Mar 3, 2022

この3月下旬に広島市現代美術館で、トヨダヒトシさんの「映像日記/スライドショー」が実施される。同館は来年春のリニューアルオープンに向けて休館中だが、昨年10月に予定されていたこの投影会を、今月開催する準備が進められている。

トヨダさんとは昨年仲良くなった。真鶴のアトリエにも遊びに行って、いい時間を過ごした。

彼の作品は「写真」というより「スライドショー」そのもので、同じタイトルでも、上映のたび少しづつ構成が変わる。本人にとってそれが(スライドショーとして抽出される、人生のある時期が)どんな意味を持っていたのか?ということが、ときを経て生き物のように変化してゆくから。

なので、写真集のような形で固定されない。所有の対象にはなっていなくて経験するしかない。スライド投影という形で。

今回の広島現美のそれ(3月26、27日の夜)は、久しぶりに屋外で投影されるという。上の写真は横須賀美術館で投影されたときのものかな。この頃はまだよく存じ上げていなかった。屋内版しか体験していないので広島に駆けつけたいが、先に決まっていた用事があって今回は見送り。惹かれるものがある人がいたら、ぜひ行ってみて欲しい。

申込制・定員 各回40名程度
https://renovation2023.hiroshima-moca.jp/program/toyoda_event20211016/

トヨダさんと学芸員の竹口さんが、会場で配布される冊子用の短文を頼んでくれた。嬉しかったので喜んで2本書いた。片方は広島で読んでいただくとして、もう片方をここに転載します。

 

自分がどんな人生を生きてゆくのか知らない

友人に何度も薦められていたトヨダさんの映像日記をようやく見ることが出来たのは、中目黒のギャラリーだった。何ヶ月か間をおいて各数日間のプログラムがあり、その両方が東京出張のタイミングと合った。そのころ私は四国にも家を借りていて、東京の家に戻る機会は半年に一度くらいに減っていたから、それがどちらとも重なっていたのは幸運だった。毎晩のように通った。

投影が終わり、お話の時間も終わってギャラリーを出ると、私は夜のまちを家まで歩いて帰った。片道2時間ほどだったと思う。馴染みのない住宅街を、静かな気持ちで歩いた。

トヨダさんの映像日記をしまう引き出しが自分の中にない。いわゆる「写真」をみせてもらった感じはないし、それが「作品」だった感じすらない。分類が不可能なので、机の上に出したままにしておくか、手に持って生きてゆくしかない。そんな気分がひとまず歩かせたのだと思う。

アーティストトークで、ある人から「どんな瞬間にシャッターを押しているんですか?」と訊かれたトヨダさんは、「本の頁をめくっていた手が止まるようなとき」と答えていた。

本を繰るような感覚で生きているんだ。たぶんそうなんだろう。自分がどんな人生を生きてゆくのか知らない。頁をめくっては「へーっ」て。「こんななんだ」と知ってゆくように生きているんだろう。
でも考えてみればみんなそうじゃないか。トヨダさんの場合は、ある頃からカメラがその道連れになった。映写機も加わって。脚立もか。こう書いてみると愉快な旅をつづけているなと思う。

スライドとスライドの合間のなにも映っていないスクリーンを眺めていると、開いたまま瞼を閉じているような気持ちになる。そして目が開くと、どこかの景色。閉じてまた開くと、知らない誰かの笑顔。初めて目にする人に浮かんでくる、この親しみはなにかな?

夜のまちを歩いていると家々の灯りが見える。会ったこともなければ、これから会うこともないだろう人たちが、それぞれの一日を終えようとしている。トヨダさんのスライドショーから私に伝わってくるのは、この世界に彼が感じている親密さのように思う。もう少し一緒にいたいとか、姿を見ていたいとか、離れがたいとか。

遠い窓の灯りが励みになるときがあるように、トヨダさんの映像日記を、温かく感じています。◆

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