
Aug 16, 2022
アーティゾン美術館の展示を経て江上茂雄さんの存在を思い出し、その翌日、武蔵野市立吉祥寺美術館へ展覧会「風景日記 diary/dialogue with landscapes」(2018)の図録を買いにいった。


江上さんは1912年(明42)福岡生まれ。小学生の頃から画才を発揮し、絵を描いて生きてゆくと決めた。学校の先生等の温かい応援もあったようだ。しかし12歳で父親を亡くし、家族の生活を支えるために働き始める。そして日曜日に絵を描いた。
〝母はある店先に入った。背中にくくりつけられていた私は店先の飾棚の絵を見た。それはミレーの「晩鐘」だった。これが私と絵との初めての出会いだった。
学童の図画教程はいわゆる写生の時代。写生といっても、目の前の物をよく見てしっかりその生命感を写しとるという、物のリアルから心のワビサビまでの厳しい長い道だった。ぼんやり者の私もその写生から始まった。
母子家庭で昭和二年高等小学校卒業後、三井三池鉱業建築課就職、昭和四七年退職までの四五年間が私の日曜画家の時代だった。実生活者としては私一人の給料で七人家族を養った。〟
(都築響一氏のメルマ記事より転載*)
美術展が開かれる都市は遠く、古書店で「みずゑ」や「芸術新潮」を買い求めて同時代の絵画に刺激を受けながら、自分の絵を描きつづけた。



退職後、初の個展を地元の百貨店で開いたが、最初に頼みに行ったときは「何々会の会員とか、肩書きのある人なら」と断られたらしい。(日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴより*)
江上さんはどこにも属さず、かといって孤立を目指したわけでもなく、生まれ育った土地で絵を描いて生きた。60代後半からは、毎日家から歩いて出かけて、「描いてくれ」と語りかけてくる風景に出会い、腰を下ろして、数時間で1〜2枚描いて帰宅する暮らしを99歳までつづけた。

最後の30年間の絵だけでも約8,500枚。吉祥寺美術館の図録で、ある風景を何度も描いていた様子を知り、どこにもしまいようのない気持ちになる。


同じ風景は二度とないことが、具体的に示されてしまった。
福岡県立美術館で初めての大きな展覧会「江上茂雄 ― 風ノ影、絵ノ奥ノ光」(2013)が開かれた頃、自分は月に一度くらいのペースで福岡に通っていた。友人が教えてくれた告知サイトを拝見して、絵に息を呑んだというか、目と心がとても喜んだのをよく憶えている。つい半年前まで忘れていたが、このとき高揚して何本かTweetしている。
https://twilog.org/lwnish/date-180811/allasc

でもタイミングが合わず、見に行くことは出来なかった。2018年の吉祥寺の展示も、四国の山あいでせっせと働いていた頃と重なっていて、実際に見る機会にはまだ恵まれていない。
福岡県美の展覧会を担当した学芸員は竹口浩司さんという人で、いまは広島市現代美術館にいる。縁あって彼から「トヨダヒトシさんのスライド上映会に文章を寄せて欲しい」と依頼を受けたのが今年の初めで、このとき江上さんの話も少し交わせたが、それから半年経って、ようやくちゃんと江上さんを訪ね直すことが出来た。
この2日間は仕事そっちのけで、ウェブや図録で彼の絵を眺めている。


数日前、青木繁・坂本繁二郎さんの展覧会を見たあとは、画業で生きてゆくことの現在を考えた。
同時に、「素晴らしい画家の仕事もいいけれど、日常的に絵を描いている市井の人が多い社会にむしろ自分は惹かれるな」ということを考えた。美味しい店の多い街より、各家の日々の食卓が充実している街の方が文化的だし、面白い。
かつ希少だと思う。頂に立つ者の仕事ぶりで山の裾野が広がり、底辺の厚みが増す理屈はわかる。ハイカルチャーの類いや時代を代表するような仕事に意味がないとはまったく思わないが、いまの社会は構造的に「つくる」人を減らし、「買う」人、お客さんを増やしているから、たとえば起業家の減少と同じく、食べ物をつくったり、望遠鏡を自作したり、絵を描くような、自分の手足を動かして人生を充実させている人は社会全域で減っているはずだ。
今回自分はそんな頭で「アマチュアの世界の豊かさ」について考えながら日曜画家・江上さんの世界を訪れたわけだけど、そこに広がっていたのはそういう抽象的なお話ではなくて、江上茂雄さんという他にない人生の姿、ただそれだけだった。江上さんは、ただ江上さんで、他のなんのためにも存在していなかった。
たくさんの絵を描いた。
描き始めた頃をふりかえり、「風景だけが優しかった」「自然は誰にでも同じ姿を見せてくれる」と語っていた言葉が沁みる。
*江上茂雄オーラル・ヒストリー 2014年1月25日
https://oralarthistory.org/archives/egami_shigeo/interview_02.php
*「江上茂雄:風景日記」 終わらない画業 佐藤直樹 評(2018.8.9)
https://bijutsutecho.com/magazine/review/18207