
Sep 4, 2022
荻窪・Titleで本を買い、天沼区民集会所という施設を訪れ、区が主催する3時間ほどのミーティングに参加した。(上は最後の集合写真撮影で。撮っているひとを撮るのが好き)
杉並区は先の選挙で区長が交代し、岸本聡子さんになった。岸本さんは選挙中から「みんなの話を聞きたい。学びたい」姿勢が際立っていて、施策検討や政策判断においても、住民さんたちの声を直接聴きながら進めたいという。
その具体的な方法として、無作為に抽出した2,000名の区民にアンケートを送付。記入&返送してもらうのと同時に、その中から希望者を募り、20名のミーティングを開きたいとのこと。それが今日だった。
無作為抽出アプローチに欧州を感じる。ネーミングは「聴っくオフ・ミーティング」と日本っぽい感じ。申込は多く抽選になったようで、結果が届き、区民の一人として参加してきた。
会場で岸本さんに会うと「あれ?どこかで…」となり、「選挙の初日に永福町駅前で、マーキーと」と話すと「すごいですね!」と驚いていた。そんな偶然ってある?という感じ。たしかに杉並は人口57万なので、18歳以上で考えても結構な確率だ。でもアンケートが届いたときから、行くことになるな───と思っていたけど。
この「聴っくミ」は継続的に開かれる様子で、本日第1回のテーマは「杉並らしい子どもの居場所づくり」だった。
杉並では児童館施設の老朽化が進んでいる。それを合理的に整理してゆく前区長の流れと、むしろ拡充すべきという住民グループの訴えは、選挙の争点の一つでもあった。テーマの「子どもの居場所」はそれを内包している。
けど、あまり児童館云々という話にはならなかった。杉並で三人の子どもを育ててきたお父さん。一人を育てつつ、お腹の中の二人目に手を添えて話す若いお母さん。建築を学んでいる学生さん。お子さんの一人に障害があり、でも区のサポートに力を得てきたと感謝を述べるお母さん。いまは孫を育てているというお婆ちゃん。4名ほどの小グループにわかれ、各テーブルに職員さんが1名づつ入る形で進んだ。
普段接点のない方々の話は、どれも聞けてよかった。もっと時間が欲しかったな。急いで話しておしまい、という人が多かったんじゃないかと思う。対話に必要な時間枠が足りない。みんな自分から申し込んでいるくらいだから、全体で4時間とか、お昼休憩を挟む午前・午後のじっくりコースでもいけるんじゃないかな。でもそれぞれの話をきくことはできた。
一枚外側で見ていたのは関連の職員さんたちかな。でも最初から最後までずっと座って、傍聴モードだった人もいる。中に入って一緒に語り合えばいいのに。ファシリテーターは「今日ここにどんな人が来ているのか」、簡単に紹介した方がいいと思う。
住民さんの中には、自分が携えてきた話で手一杯で、人の話をきく状態でない感じの人も当然いた。神山でも経験したことがあるけど、「こうするといい」というアイデアを「なぜやらないのか」「してください」と押し付けてくる人の存在は本当にストレスフルだ。岸本さんのもとには各種団体の要望や陳情が押し寄せて来るだろうから、日々そんな感じで大変だろう。心安まる時間を多めに摂って欲しい。
進行役には若手のファシリテーション事務所が入り頑張って進めていた。が、集まっている住民も、区の職員さんたちも、対話型の場づくりに慣れていない。民主主義は多数決ではないし、ただ『声を聞きました』では「民主」にならないので、行政サイドはもちろん、住民間にも「きく」ことと「はなす」ことのバランスのいいコミュニケーション・スキルが求められる。こうした場の一つひとつがその涵養になるといいけど…と、少し遠い気持ちになる。
内容については、若いお父さんお母さんたちの話はどうしても「子育て支援」に向かいやすく、「子どもの居場所」というテーマの掘り下げが進みにくかった。切実さは想像に難くないのだが。「大人に必要な子どもの居場所」の話になりがちで、私が参加したテーブルでは「いま子どもたち自身になにが必要か」という視点で語られる話に、あまり出会えなかった。
一人、障害を持つ子どものお母さんが「障害の有無にかかわらず一緒に育ってゆける時間や空間は、双方にとって大事だし、いいものだと私は感じているんです───」ときかせてくれて良かったな。
岸本さんは最後に「子どもたち自身の声も聴いてゆきたい」と語っていて、その心意気やよし!と思う。子どもには本人が知っている範囲でしか話せない側面もあるので、即物的すぎる問いかけをしない注意が要るし、小学生との語らいには、大学生や高校生や中学生など、あいだに中間世代を挟みながら進めるのが効果的だろうな…と思いながら家路についた。
行きは荻窪まで1時間くらい歩いた。途中にある「ゆう杉並」という中高生向けの文化施設を見ておきたかったのと、区民農園が気になって。

自分なら児童館よりこういうところに行くな────。
「子どもの居場所」を、行政の子ども担当部課がつくる特定の施設として考えず、この社会の隅々に子どもたちがいることが出来て、大人がそれを受け入れている。そんな文化圏をつくってゆく方が未来があると思うけど、「こうするといい」の押し付けはNGなので、ときが来たら自分でやってみよう。