
Jun 21, 2023
「書くワークショップβ」を経て自分にもいくつかの変化が生まれて、そのひとつに「朝1時間の読書」がある(夜も)。
読みたい本はいくらでもあるのに読む時間がない。と思いながら、スマートフォンで他人の人生を見たり、知りたくもないニュースに気を落としている己のありさまを救いようがない…と思っていたが、ひらいたワークショップが功を奏してスマホやSNSは劣位に下がり、代わりにメモ帳と読書が上位に座りなおした。この約十年どんな魔法がかかっていたんだろう?と思うくらい、好転した。
あたらしく親しみのあるその日常の中で、いま読んでいるのは永井玲衣さんの『水中の哲学者たち』と、二度目のゲド戦記横断。読むのも辛い『帰還』を渡っているところで、もう一冊が川内有緒さんの『パリでメシを食う。』だ。
これは2010年に出版された本で、パリで働く10名の日本人が登場する。三つ星レストランの戦場のような厨房で働く女性の話を読みながら、きかれているわけでもないのに心の中で「無理」とつぶやいていたり。自分の心がよく動いて楽しい。
小さなオートクチュールのテーラーで働く稲葉周子さんの話が好きで、何度か読んだ本だけど、数日前に読んだそのパートを今朝はもう一度読み返していた。
『パリでメシを食う。』に出てくるひとは全員ほかでもない本人の人生を生きている。社会のメインストリートを歩いている感じはない。それぞれの細道をゆく、その真っ最中の言葉や姿に触れる。同じ時代を生きている人たち。当時から10年と少し経って、いまはどのあたりを歩いているかな?と思う。もうお亡くなりになった方もいるのを知っている。
日本で育って、親や先輩や同級生と同じ流れにのってゆくのではなく、あたりまえでない場所に自分を置き、結果として生命の輪郭がハッキリしている人たちが、でも強そうだったり勇ましくするわけでもなく、本人の言葉を語り、それをキャッチした川内さんが書きとめてくれている。
川内さん自身はなにを探していたんだろう? 植物が光の方へ枝先を伸ばし、水や養分を欲して根を広げるように、なにかを求めて自分を変えてゆくのが生命だと思う。彼女の生命はパリの国連で暇を持てましていたその頃(よく知らずに書いています。忙しくなかったわけではないと思う)、なにを求めて動き出していたのかな。
この本は彼女の一冊目だ。その後も仕事を重ね、いまは全部で7冊ほど出版されている。近著は『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』か。
ルポルタージュは、なんらかの現場に赴いて書く仕事を指す。彼女はその場所や対象を訪ねるというより、中に入ってとけてゆく感じがするので、この言葉は適切でないなと思う。
本人は自分のことをある受賞スピーチで「ノンフィクションを書いている」と紹介している。経歴としても開高健ノンフィクション大賞を受賞されている、けど、ノンフィクションという言葉はフィクションとの対義性が強すぎて私はあまりしっくりこない。かといってインタビュー・ライターという感じでもないし。
「作家」だな。川内有緒という作家。つくることを仕事にしていて、作品量の厚みがともなっている人。
テーラーで働く稲葉周子さんの話の中に「私は誰かのためにご飯を作るのが、好きだ。」という一節がある(文庫 P146)。あまりちゃんと食べていないかも?と気になった川内さんが、周子さんにご飯を用意するくだり。
「ご飯を作るのが」と書いて、置かれた句読点の一息はなんだったかな。つくるのが、なんなんだろう?
次に会ったとき、きいてみよう。