Nov 16, 2024

下北沢の駅に近い路地の奥に、朝早くからあいているサンドイッチ屋さんがあって、若い女性が一人で切り盛りしている。カウンター3席、短いベンチが1本の小さな店。サンドイッチは美味しい。具材に出し惜しみが感じられない。かかっている音楽もいい具合に落ち着いていて、コーヒーもちゃんとおとしてくれる。

一年ほど前に、時間調整を兼ねて朝ごはんを食べたいけどどこかないかな?と探して、「おーこんな店が」と思い。今朝ひさしぶりに来ると、変わらず一人で店をあけていて、BLTとスープをいただくことができた。

以前「こんな店が」と思った一枚下にある気持ちは、「よくやってるな」だと思う。親戚がいるから下北沢には小さな頃から通っていて、なくなったお店をいくつか憶えている。近くのビルの2階にあった素敵なCDショップもいまは美容関連のテナントに変わった。家賃は決して安くないだろうし、なによりも朝7時から店をあけているってすごいな、と。

私は80年代の終わり頃、朝食をテーマにした「夢がいっぱい」な感じの素敵な店が都心部にオープンしてはわりと早く閉じてゆく様子を見ていたので、朝食に気合いを入れているカフェは刮目する。というか、夢と淋しさが入り交じった目を最初から向けてしまうところがある。
バークレーの「Cafe Funny」もいまはもうないし。朝食、難しいよな…と思いながら食べていたら、次のお客さんが来て店の女性と話し始めた。

「昨日、夜勤あがりの◯◯さんが来て」「そうなんだー」(中略)「ごちそうさまでした」「今からお仕事?」「そう」「行ってらっしゃい」。
そうか、夜通し働いていた人も立ち寄るんだ。下北沢は夜が遅い店も多いし。ただ〝夢〟として店をひらいているわけでもなくて(それは私の思い込み)、街の足りない部分にハマってもいるんだなとすこし気持ちが落ち着いた。勝手に大変かもと思い、勝手にホッとしているのだから世話ないけど。

街に店をひらく人。とくに個人が営んでいるお店には、いろいろな想いが沸き立ってしまう。
とりわけ飲食店については、鮮度の高い食材を仕入れて、来るかわからない、天気にも社会状況にも左右されるお客さんの来訪を、変わらない家賃を払いながら待っている。しかも一人で維持していることを思うと、「大変なことを一人でしてはいけない」という西原由記子さんの言葉も思い返す。勝手にドキドキして「また来なくちゃ」という気持ちになる。

と同時に、一人ひとりにきいてみたくなる。どんな経緯でお店を始めることにしたのか、なったのか。前職ではなにをなさっていたのか。いま感じている手応えや喜び。もし言い難い気持ちがあればそれも。

私は『自分をいかして生きる』という本の中に「いる・いない問題」という話を書いた。30代後半、最初の本を書きながら「〝いい仕事〟ってなんだ?」と考えた自分なりの答えは、環境にいいとか、倫理的であるとか、社会的正義があるとかそういうことではなくて、その仕事に触れた人がより「いる」感じになるかどうか。それだけだ、と思うに至った。この「いる」は「生きている感じ」と言い換えてもいい。

十数年つづいた仕事の一つに「インタビューのワークショップ」があり、そこでときどき「いつか『東京 いる店・いない店』という本を書いてみたい」と話すことがある。「いーねいーね」という感じなって、それぞれの「いる店」エピソードの交換が始まる。
人がいるのにいない店や接客の数々に、少なからぬ人々がうんざりしているんじゃないか。機能は満たしていても、味がよくても、そこに人が「いる」感じがしなかったら私はつまらないし体温は下がってしまう。熱的に死んでゆくというか、生きていない方に作用を受ける。

群馬県の追悼碑撤去の日に動員されて並んでいた警察官の姿を見ても、ガザに対するイスラエル兵士の姿を見ても。いるのに「いない」ような状態の人間を目にするのがいちばん辛い。

その真逆の位置に「にもかかわらず」という感じで立っているのが個人経営の店を街で一人で営んでいる方々の姿で、中でも飲食店に感じてしまう切実さは群を抜いているという話は先に書いた。
頭が悪かったら出来ない仕事だと思う。学生時代の成績ではなくて、必要な情報を自分で集め、限られた時間の中で判断してゆく力。必要な助けを周囲に求める力。なにより、本人が本人のことを助ける力がなかったらできないはずだし、この店にしても成り立たないんじゃないかと思うと、彼女のこともヒーローのように思えてくる。こっちはサンドイッチをもぐもぐ食べているだけなんですけど。

その後も入れ替わりお客さんが来て、やはり夜営業の店から上がって来た男性と「いま仕事帰り?」「いや一軒寄って飲んで、これから帰るところ」「遅いね」「お客さんが飲んでると帰れないから。10時くらいになることも多い」「それもうお昼だね」とか交わしている。その彼はサンドイッチとビールを注文(朝8時)。また別のカップルが来たので席をゆずって店を出た。

ネットや雑誌を通じて知ることもあるが、自分の目の前にあらわれたものが社会だと思う。で、今日嬉しかったのは、その店の彼女の目が、前に来たとき以上にいきいきと感じられたことだ。